デイリーディボーション 12月6日(水)

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デイリーディボーション 12月6日(水)

2017年12月6日(水)

【通読】
マタイの福音書 27:51-54
51すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。52また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。53そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現われた。54百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。

【ポイント】
①出来事の意味を知る
今日の箇所が事実ではなく、作り話(盛り過ぎ)ではないかと感じる人もいることでしょう。実際、52節の「多くの聖徒」の復活の出来事は、他の福音書、または使徒の働、他の歴史書などでも確認することができません。そのような難しさを感じる箇所ではありますが、これらの記録が特に意味のない不思議な出来事としてではなく、重要な意味を持つ出来事として記したマタイの意図を知ることはできるはずです。

まず、神殿の幕が裂けたという出来事ですが、これに関してはマルコ、ルカも記録しています。ユダヤ人であれば、すぐにその意味が分かるのですが、私たち異邦人には良く分からない出来事ですね。しかし、ヘブル人への手紙9-10章にこの出来事の意味が記されていますので、是非読んでみることを強くお勧めします。神殿の幕とは、神殿(幕屋)の最も重要な部分である「至聖所」の入り口にもうけられた垂れ幕です。「33その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。」(出エジプト26:33)至聖所は神様の臨在の場であり、最も聖い場所とされていました。この垂れ幕によって神様(臨在、聖さ)と人々が隔絶されていたのです。イエス様はその隔たりを取り払ってくださったということです。

しかし、それは単に物質としての垂れ幕がなくなったことを意味しているわけではありません。神様がその聖さを捨て、律法のなし崩し的に廃棄されたのでもありません。私たちはイエス様の血潮によって清められ、聖なる者とされたので、もはや「垂れ幕」が必要なくなったことを意味しているのです。「22そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありません」(ヘブル10:22)

聖徒の復活は、イエス様の死の瞬間ではなく、復活の際に起きた出来事であると記されています。この出来事の重要さは、復活したとされる「聖徒」はイエス・キリストと直接会ったことのない、旧約時代の「聖徒」であるということです。それは、旧約時代にも「信仰」に生きた人々がいた事を意味してます。つまり、旧約時代も、イエス様が来られた後も、真の神様を知り、愛し、信頼するという信仰に生きた人は、その信仰によって生きる者(義)とされるという神様の計画(御心)は一貫したものであることを知ることができます。聖徒の復活は、信仰に生きる者が義とされるという神様の御心が旧約時代から変わることがないということを、当時のユダヤ人たちに対して証明する出来事だったのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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