デイリーディボーション 2月17日(月)

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デイリーディボーション 2月17日(月)

2020年2月17日(月)
テサロニケ人への手紙 第二 2:9-12 13しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
【ポイント】 ①主の命令に忠実であれ 私たちの救いは神様の「選び」によるものです。ヨハネ15章のイエス様のことばを見てみましょう。「16あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
ここで大切な視点は「なぜパウロはテサロニケの信徒たちが選ばれていると確信したのか?」というものです。ここでパウロは、「律法の行ないによる義」を唱える人々と神学的な議論をしているわけではありませんから、救いは神様の一方的な「選び」「恵」であるというポイントについて強調しているわけではないと思われます。パウロはテサロニケのキリストのみことばに忠実に歩む姿を見て、「ああ、彼らは本当に神に選ばれた聖徒なのだな!」と感じていたのではないでしょうか。そのように考える根拠は昨日の礼拝でも取り上げた1章3節に記されているテサロニケ教会の姿です。「3兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。」
このテサロニケの教会の歩みは、すべての教会が倣うべきものです。すべてのクリスチャンは、キリストの命令である「相互愛」の真剣な実践が伴わない「信仰」など死んだものに等しいことを知らなくてはなりません。なぜなら、ヤコブが「それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」と教えているからです(ヤコブ2:17)。ヤコブ2章の前後読めば「行い」とは「旧約聖書の律法の行ない」などではなく、キリストの命令である「相互愛の実践」であることが明らかです。ですから、キリストの命令にいい加減であるということは、キリストに対する愛がいい加減であることを意味しているからです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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