デイリーディボーション 2月2日(金)

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デイリーディボーション 2月2日(金)

2018年2月2日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 6:1-3
4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。5もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。6私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。7死んでしまった者は、罪から解放されているのです。8もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。

【ポイント】
①キリストの十字架、死を信じる意味
私たちの罪が赦されるとは、罪の記録を消しゴムで消されたような感じでも、パソコンやスマホをリセットしたようなものでもありません。イエス様が十字架にかかり、私たちが受けるべき罰を一身に受け死なれたという、多大な犠牲を伴う行為によって、私たちの罪が赦されたのです。私たちは、罪の赦しのための努力も仕事もしていないわけですが、その理由は、イエス様が私たちの代わりに必要なことすべてを行ってくださったからであることを忘れてはなりません。

それでは、罪の赦しは、サービスセンターのような場所(私たち自身とは関係のないところ)で行われたのかというそうではありあせん。今日のパウロのことばから分かることは、イエス様が「身代わり」に死んでくださったとうことは、霊的な意味(神様の目からすると)では、私たち自身が死んだということなのです。さらに、イエス様が「身代わり」として死に、復活されたということは、霊的な意味では、私たち自身も死から復活しているということなのです。

私たちがイエス・キリストを信じるとは、イエス様を愛し、イエス様と一体になることを意味しています。神様は、夫と妻が愛し合い、夫婦となることも「一体」となることであると教えられています。「
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2:24)愛する者が一体になるという神様の計画は、私たちとイエス様にも適用されます。イエス様はその神秘をぶどうの木を用いて説明されています。「5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)

律法の違反の最大の罰は「死」です。しかし、イエス・キリストを信じた私たちは、既に死刑を受けた(イエス様を身代わりとして)わけですから、死んでしまった私たちは、もはや律法に縛られることがないということなのです。(7節)

ライフチャーチ
大谷信道


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