デイリーディボーション 2月3日(月)

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デイリーディボーション 2月3日(月)

2020年2月3日(月)
テサロニケ人への手紙 第一  5:23-24 23平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。24あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
【ポイント】 ①「責められるところのないように」するためには? 「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように」という表現は、クリスチャンである私たちであっても、主とお会いする時に「責められる」ことがあることを示唆しています。これは、決して救いが奪い去られるという意味ではありません。この点は決して間違えてはなりません。救われている者の中でも、キリストのみことばに忠実に歩んだ者と、そうでない者が受ける報いに違いがあるということなのです。そして、キリストのみことばに従わず、人間的な思いを優先させて生きたクリスチャンはその不従順さについて「責められる」ことがあるということなのです。私たちが天において受ける報いは、イエス・キリストとの関係(愛の交わり、従順さなど)で決まってくるのです(参:マタイ25章)。
さらに恐れるべきは、その人の信仰の歩みがあまりにも自己流であったり、イエス様のみことばに不従順な場合は、神様の目から見た時に「あなたはイエス・キリストを信じていない」と判断されるケースもあり得るということです。なぜなら、キリストを信じるとは、キリストを愛することであり、キリストを愛するということは、キリストの戒めに従うことでもあるからです。ですから、キリストの戒めに不従順なものは、キリストを愛していないことになり、それは信仰がないということになるからです。
ですから、パウロは5章11節で「11ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」という戒めをテサロニケ教会のメンバーに送り、「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように」具体的な歩み方を教えているのです。
クリスチャンの中には「励ましを受けるため」に礼拝に行くかもしれません。しかし、みことばに忠実に生きている人は「主を愛するため」「兄弟姉妹を励ますため」に礼拝に集まるのです。クリスチャンの中には「自分の徳が高めるために」聖書を学ぶ人がいます。しかし、みことばに従順な人は「キリストのからだの建て上げ(互いの徳の高め合い)」に参加するために、教会に集まるのです。励ましてもらいたいだけの人、自分の徳を高めてもらいたい人が何百人集まっても、キリストの御心である、キリストのからだは建て上げにはつながらないのです。
しかし、私たちクリスチャンが愚直に「互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」という命令に従うときに、真実な主は「私たちの霊、たましい、からだ」を守ってくださり」、かならずその労苦を報いてくださるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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