デイリーディボーション 3月6日(金)

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デイリーディボーション 3月6日(金)

2020年3月6日(金)
テモテへの手紙 第一 1:11-12 11祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。12私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。
【ポイント】 ①律法と福音を正しく理解する 律法と福音を与えられた神様の中には一切自己矛盾は存在せず、律法も福音も神様の愛から与えられた良いものです。「12ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(ローマ7:12)
パウロは律法の役割について次のように説明してます。「24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。25しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。」律法は人々を神様への愛と恵に人々を立ち返らせるものだったのです。なぜなら、律法がなければ、私たちは何が神様の前に何が正しく、何が罪なのかを知ることはできなかったからです。「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『さぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう。」(ローマ7:7)
しかし、神様は「むさぼらない人間」、「律法を完全に守る人間」を育てたいと思ったのかと言うとそうではありません。もちろん、律法は大切なのですが、神様が求められていたのは、人間が神様を愛するようになることなのです。まさに、自分の罪深さを知り、罪の問題を自分で克服できないことに気づき、父のもとに救いと赦しを求めた放蕩息子のように、私たちが神様の愛に立ち返ることを神様は望まれているのです。
この律法と福音の関係を正しく理解できないと、イエス様の福音、救いの方法に「律法の行ない」を付け足したりしてしまうのです。また、信仰の歩みについても、「神様を愛する」という部分を省略し、様々な戒律を守ることが信仰的な歩みだと教えたりしてしまうのです。
イエス様が求められている信仰は、まじめに教えらえた戒律を守るという受け身の生き方ではありません。イエス様を愛するのであれば、何をすべきなのかを聖書から学び、自分に課題を与えていくという、能動的(自発的)な歩みなのです。
例えば、あなたが毎週礼拝に出席する動機付けは何ですか?「罰を受けたくない」「祝福を受けたいい」などと、何らかの得を得るため、または、ペナルティー(損)を受けたくないという思いに動かされているとしたら要注意です。あなたは福音ではなく依然として律法に動かされている可能性があります。反対に、主にある兄弟姉妹と心を合わせて神様に愛を表すことに喜びを覚えているとしたら、福音の中に正しく歩めている可能性が高いでしょう。表面的には、どちらも熱心に礼拝に参加する者たちです。しかし、その動機付けを確認すると、律法(罰)に動かされているのか福音(神様の愛と恵み)に動かされているのかを知ることができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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