デイリーディボーション 5月15日(水)

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デイリーディボーション 5月15日(水)

2019年5月15日(水)
マルコによる福音書 6:26-29 26王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。27そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、28その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。29ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。
【ポイント】 ①「人々の手前」に注意 イエス・キリストを信じ、神の国で生きるということは、「人々の手前」ではなく「神様の御前」で生きることを意味します。ですから、罪の赦しと永遠の命の約束をいただいておきながら、人々の手前でイエス様を無視することは、イエス様を深く悲しませることになるのです。迫害の恐怖、苦しみなどからではなく、ヘロデのように確信犯的に真理に背く者には深刻な結果が待っていることも知らなくてはなりません。「32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。」(マタイ10章)
使徒ペテロは3度もイエス様を知らないと言ってしまいましたが、イエス様の前から退けられることなく、使徒として用い続けられましたね。先に触れたように、ペテロの確信犯的なものではなく、イエス様はペテロがイエス様を愛していたことをご存知だったのです。もちろん、ペテロがイエス様を知らないと言ってしまったことは、ペテロにとっては取り返しのつかない失敗の経験となりましたが、その経験によって彼のイエス様に対する愛がより強められたこと、また、イエス様がその失敗が決定的なものではないと認識していたことも聖書から明らかです。(ルカ22:32)
確かにペテロのような失敗を犯すこともあるのでしょうが、「人々の手前」というようなこの世的な価値観によってではなく、「神様の御前」という神の国の価値観の中に生きていくことが大切であることに変わりはありません。イエス様に従うことを一番にしていく時に、この世では「損」をしてしまうこともあるでしょう。しかし、私たちのとっての一番の損は、神様との関係をいい加減にしてしまうことであることを、ヘロデの例から学びましょう。
最後にピリピ人への手紙3章のパウロの証しを聞いてみましょう。「7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、9キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。「
ライフチャーチ 大谷信道


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