デイリーディボーション 6月1日(土)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月1日(土)

2019年6月1日(土)
マルコによる福音書 8:14-21 14弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。15そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」16そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。17それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。18目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。19わたしが五千人に五つのパンを裂いて上げたとき、パン切れを取り集めて、幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「十二です。」20「四千人に七つのパンを裂いて上げたときは、パン切れを取り集めて幾つのかごがいっぱいになりましたか。」彼らは答えた。「七つです。」21イエスは言われた。「まだ悟らないのですか。」
【ポイント】 ①イエス様のみことばを素直に聞く イエス様はパリサイ人のような偽善的な姿勢、サドカイ人の世俗的な生き方が、イエス様の弟子たちの中に混入しないように注意を与えました。しかし、弟子たちは「パン種」ということばを聞いて「あれ、今日はパンを準備していないじゃないか」と、全く別のことを考え始めてしまいました。
イエス様の弟子たちがイエス様のみことばをいかにいい加減に聞いていたのかを知ることができます。あなたも相手が自分の言っていることを正しく理解してくれていないと感じることはありませんか。例えば、妻が夫に、夫が妻に、親が子どもに、子どもが親に、教師が生徒に、生徒が教師に、牧師が信徒に、信徒が牧師に、「自分が伝えようとしていることを正確に理解してくれていない」と感じることがあることでしょう。皆がそう感じているということは、反対に言えば、皆が相手の話を真剣に聞いていない傾向があることを意味しています。話を聞いていないのは相手だけではなく、自分も同じだということなのです。今日の箇所の適用のポイントはそこにあります。私たちがイエス様のみことばを素直に聞いていない可能性があることを正直に認め、同時に真剣にみことばに真剣に耳を傾ける再決心をしましょう。
それでは、イエス様のみこばに真剣に耳を傾けるとはどういうことなのでしょうか。まず大切なことは「イエス様に対する要求をわきに置く」ことです。つまり、自分が聞きたいこと、自分が知りたいこと、つまり自分の要求が強すぎると、自分のニーズに合っていないメッセージはフィルターにかけられ、すべて無意識のうちに聞き流してしまうのです。人によっては、自分に都合の悪いメッセージは意図的に無視している人もいることでしょう。
例えば、このすぐ後の8章34-35節に記されている「34だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。35いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」というメッセージを真剣に受け取っていないクリスチャン、意図的に無視してしまっているクリスチャンがどれほどたくさんいることでしょうか。「自分にとって大切なものが与えられる」ことのためには真剣に聖書を読んだり祈ったりするのに、「自分にとって大切なものを捨てる」ことについては、いつまでたっても実践しようとしない人がいるのではないでしょうか。自分の耳を閉じ、イエス様のみことばを取捨選択したり、選り好みしていると、本当に大切なメッセージを受け取り損なってしまうのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info