デイリーディボーション 6月10日(月)

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デイリーディボーション 6月10日(月)

2019年6月10日(月)
マルコによる福音書 9:6-9 6実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。7そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。8彼らが急いであたりを見回すと、自分たちといっしょにいるのはイエスだけで、そこにはもはやだれも見えなかった。9さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。
【ポイント】 ①イエス様の視点から考える イエス様の救いの計画は弟子抜きに実現するものではありませんでした。例えば、マタイ28章の大宣教命令を見れば明らかですね。「19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
このような意見を聞くと、「弟子の助けが必要だったということは、イエス様は全能の方ではなかったということですか?」と考える人もいるようです。その論理からすると、神様が人間が罪をもったままの状態にさせていたこと自体が神様の「無能」を意味することになってしまうのではないでしょうか。つまり、神様が全人類を救いたければ、アダムとエバの心を変え、罪自体が人類に入らないようにさせておけばよかったのです。もちろん、それも可能だったことでしょう。しかし、神様は「ロボット」を作られたのではなく、自分に似たものとして、自由な意思を持っている存在として人間を造られたのです。ですから、自分の自由な意思の中で神様を愛する存在を造り、ご自分の愛の対象とされたのです。
イエス様もこの神様の計画を無視することはありませんでした。ですから、弟子たちに魔法をかけるのではなく、恐怖によって心を支配するのでもなく、弟子たちが自らの意思でイエス様を愛し、自らの意思でイエス様に従い、イエス様の計画の実現のために、自らの意思で命を犠牲にする覚悟がある弟子を育てる必要があったのです。
イエス様の死の予告を聞いた弟子たちは動揺していました。特にリーダー的な存在であるペテロ、ヤコブ、ヨハネが恐れたり、落胆してしまうと、すべての弟子にさらなる動揺が広がり、バラバラになってしまう可能性がありました。繰り返しになりますが、自由な意思を大切にするイエス様は、その弟子たちに「地獄に落ちるぞ」などと恐怖で支配することも、特別な力で思考を停止させ、盲目的に服従させることもなさらないのです。
そこで、イエス様は弟子たちに特別な光景を見せることによって、弟子たちに安心と確信を与えられたのです。こうして弟子の分裂、解散の危機に対処されたのです。もちろん、このような方法を「洗脳」と批判するひともいることでしょう。しかし、最終的な「しるし」は、イエス様が進んで弟子たちのためにいのちを捨てられた十字架です。信者を洗脳するために、自らの命を捨てる教祖はいません。イエス様は洗脳ではなく、愛の関係を深めることによって、弟子たちを育て、用いられたのです。「イエスの変容」の出来事は、不安と恐怖でいっぱいだった弟子たちに対するイエス様の愛の行動だったのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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