デイリーディボーション 6月25日(火)

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デイリーディボーション 6月25日(火)

2019年6月25日(火)
マルコによる福音書 10:35‐39 35さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」36イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」37彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」38しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか。」39彼らは「できます」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
【ポイント】 ①見返りを求める弟子たち イエス様と12人の弟子たちの生活費、活動資金がどこから出ているのかを考えたことがあるでしょうか。弟子たちが仕事をしていなかった思われますから、それまでに蓄えていた弟子たちの財産、または経済的な支援者によって活動が支えられていたことは間違いないでしょう。イエス様と弟子たちは霞を食って生きていたわけではありません。イエス様と弟子たちの13人が3年間もの間、豊かでないにしても日々の糧を得るためにはそれなりの「お金」が必要であったという現実を見過ごしてはなりません。事実、福音書の記述からイエス様を裏切ったユダは会計係だったことも分かっています(ヨハネ13:29)。
活動資金の出どころは、弟子自身(蓄え)、弟子たちの家族、支援者などであったと考えるのが妥当でしょう。例えば、マルコ1章20節をみると「20すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。」と、ヨハネのヤコブの家は人を雇うほどの余裕があったことが分かります。さらに、ヨハネの福音書18章15節には「シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。」とありますから、ヤコブとヨハネの父は大変裕福で、社会的にも影響力を持つ人物であったことが推測できます。完全に推測ですが、ヤコブとヨハネの家も、支援者の一つだったと考えるのが自然です。
そう考えると、マタイの福音書でヤコブとヨハネの母親が出てくることにも納得がいくのです。つまり、イエス様を経済的に支援してきたゼベダイ家の代表として、母親がイエス様に息子たちの特別な取り扱いを願ってきたのでしょう。息子たちが新しい国で要職に就けば、自分たちの家に大きな見返りを期待できるわけです。
私たちはどうでしょうか、イエス様を信じる信仰の中に、人間的な見返りを期待していることはないでしょうか。あなたとイエス様の関係の中心にあるのは、信仰の結果として与えられる「ご利益」でしょうか、それとも、純粋な「愛」でしょうか。
この世においても、「家族の愛があれば、貧しくても幸せに生きていくことができる!」という結論に達する人が大勢います。つまり、目に見えない家族の愛によって満足を得ている人がたくさんいるのです。私たちクリスチャンはどうでしょうか。「神様の愛があれば、貧しくても幸せに生きていくことができる!」と本気で信じているでしょうか。そして現実に神様の愛によって満たされ、満足を得ているでしょうか。この質問は、私たちがご利益宗教を信じているのか、天の父を愛しているのかを見分けるトマス試験紙のようなものです。
この時点では、ペテロも、ヤコブも、ヨハネもイエス様との愛の関係に満足していないことは明らかです。むしろ、イエス様は自己実現のための道具となってしまっているのです。同じ視点で自分自身も見つめてみましょう。デイリーディボーション
ライフチャーチ 大谷信道


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