デイリーディボーション 6月27日(水)

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デイリーディボーション 6月27日(水)

2018年6月27日(水)

コリント人への手紙 第一 4:9-13
9私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。10私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。11今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。12また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、13ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。

【ポイント】
①パウロの皮肉
タイトルに「皮肉」と書きましたが、ここでの皮肉は決して悪意のあるものではありません。物分りが悪い状態になっているコリントの教会のメンバーに、起きている問題の深刻さを伝えるために、あえて皮肉を使っているのです。

これまで学んできた通り、パウロは、コリントの教会の人々が行っていた伝道者の人気投票、ランク付けのような行為が「高慢」であると考えていました。なぜなら、パウロは、キリストの使徒として生きることとは、人間的な「賢さ」、「強さ」、「栄誉」をひけらかし、人々のからの称賛を得ることではなく、「飢え」「渇き」「着るものなく」「虐待され」「落ち着く先がなく」というような、人々から「卑しめられ」「迫害され「ののしられる」生き方を選ぶことでもあるからです。

ですから、パウロはこの手紙の1章31節では「まさしく、『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」、次のコリント人への第二の手紙11章30節では「30もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」と語っているのです。パウロはイエス様の十字架の贖いによって、それまで必死に求めていたユダヤ人、パリサイ人としての成功すること、同胞からの称賛を得ることが全く無意味であると感じるようになったのです。

イエス様の知ることによって起きたパウロの内面の変化、価値観の変化について、パウロが何を本当に大切なこととして行きているのかについて、パウロの自身の証から聞いてみましょう。

ピリピ人への手紙3章
1最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。2どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。3神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。4ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。5私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、6その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。7しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。8それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、9キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

ライフチャーチ
大谷信道


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