デイリーディボーション 6月6日(水)

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デイリーディボーション 6月6日(水)

2018年6月6日(水)

コリント人への手紙 第一 1:16-17
16私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。17キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。

【ポイント】
①バプテスマに関する勘違い
昨日は「私は◯◯につく」という現象について触れました。その中で「牧師崇拝」という問題に触れ、私たちがキリストと繋がっているのか、それとも別の誰かに繋がっているのかを振り返る時を持ちましたね。今日の箇所も同じテーマです。

昨日は触れませんでしたが、パウロは「私は◯◯につく」という問題の原因が「バプテスマ」にあると指摘しています。昨日の箇所を見てみましょう。「14私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。15それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。」ここからわかる大変興味深い事実は、コリントのクリスチャンの中には、使徒や有名なリーダーにバプテスマを受けたことを誇ったり、自慢する者がいたということです。自分にバプテスマ授けた人によって「パウロ派」「アポロ派」「ケパ(ペテロ)派」などという分派のようなことが起きていたのです。

実は、現代の日本でも、自分のバプテスマについて「私は◯◯先生に洗礼を授けていただきました。」というような言い方をする人が少なからずいます。コリントの教会で起きていた問題は、時代や地域などとは関係のない普遍的な問題なのです。特に、キリスト教界、または教団の中でよく知られている牧師、尊敬を集めている牧師からバプテスマを受けている人の中に「私は◯◯先生から受洗しました。」という人がいます。確かに、「私はビリー・グラハム師からバプテスマを受けました。」という人がいたとしたら、思わず「えースゴイですね!」と言ってしまうかもしれません。しかし、よく考えれば「だから何?」となるはずです。なぜなら、パウロが指摘しているように、私たちは「自分の名」によってバプテスマを授けるのではなく、「そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイ28:19)という命令をイエス様から受けているからです。

罪は完全に赦されていますが、依然として罪の性質を持っている私たちは、信仰の歩みに際してもイエス・キリスト以外に「アイドル」を作ってしまうことがあるのです。「アイドル」の英語の別の意味は「偶像」です。「偶像」とは仏像などの彫像だけの意味ではありません。真の神様以外に崇拝の対象を作ってしまったとしたら、それも「偶像」なのです。

テレビなどを見て分かること、私たち人間は、アイドルやヒーローが大好きだということです。ですから、私たちクリスチャンは、この人間の罪の性質をよく理解し、真の神様以外に、いかなる偶像(アイドル、ヒーロー)を作らないという強い決意、意志が必要なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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