デイリーディボーション 6月8日(金)

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デイリーディボーション 6月8日(金)

2018年6月8日(金)

コリント人への手紙 第一 1:17-19
20知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。25なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

【ポイント】
①「この世の常識」VS 「福音」 その2
明日の箇所ですが28-29節を見てみましょう。「28また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」

神様はこの世的な視点で使徒を選ばれることはなかったということです。ですから、昨日も触れたように、この世的な「私は◯◯さんが好き!」という感覚で、使徒や伝道者を見たり、ランク付けするようなことはしてはならないということなのです。そのような行為の結果が分派や分裂であることは目に見えているからです。

さらに、伝道方法についても同じことが言えます。神様は、政治家が実現不可能な公約を掲げ自身を宣伝するような方法、または企業が消費者の購買意欲に火をつけるような方法で、福音を伝えさせることはしなかったのです。昨日も触れましたが、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16-24-25)というイエス様の招きは、この世においては間違いなく人々から敬遠されたり、嫌われるものです。しかし、イエス様は人々から嫌がれることをご存知の上で、私たちを招かれているのです。

ですから、コリントの教会の中で起きていた使徒、伝道者の「人気投票」「ランク付け」のような現象は、神様のみこころとは真逆のものだったということなのです。

ヒーローはイエス・キリストのみです。それ以外の人は、例えペテロであっても、パウロであっても、その他の有名な伝道者も、人間的な知恵や実力によってではなく、神様の恵みとあわれにによって立てられた、ただの人間なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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