デイリーディボーション 6月9日(火)

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デイリーディボーション 6月9日(火)

2020年6月9日(火)
テトスへの手紙 3:2 2また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。
【ポイント】 ①本当の柔和さ、優しさを知る 私たちクリスチャンは、いつも「ニコニコ」していれば良いということでしょうか。決してそうではありません。イエス様は、福音宣教の働きのための心構え(態度)について、このようにも教えられています。「16いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。17人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。」(マタイ10:16-17)つまり、イエス様の福音を宣べ伝えていくためには、機能と今日の個所で教えられているような、善良で柔和な市民として生きて行くことだけでなく、イエス様から与えられた使命を全うするための賢さ(戦略)も必要だということです。ですから、パウロがこの個所で教えている態度を示すことは、イエス様に似た者としての「証し」を立てることと、不必要な迫害や弾圧を避けるための賢い戦略とを両立することができる方法であるということなのです。
ですから、私たちの「だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度」が、この世に対して影響力を発揮しているのかを確認する必要があるのです。つまり、私たちクリスチャンが「ただの良い人(八方美人)」で終わってはならないということです。私たちが、主の命令に従い「良い人」として生きて行く目的は、私たちが「世の光」「血の塩」として、私たちの配偶者、子ども、友人、同僚に、良い影響を与え、彼らをキリストへの信仰に導くことであることを忘れてはなりません。イエス様の福音は、その性質上、人々に生き方の変革を求めるものであり、人々の心に様々な波紋(葛藤、反発)を起こすものです。ですから、私たちがはっきりと福音を語るときに、相手との関係が悪くなるという恐れを覚えるのです。しかし、パウロは、そのような衝突を避けることが「争わないこと」「柔和であること」と教えているわけではないのです。
「良い人」という、ある種の安全地帯に入り込んでいる人はいないでしょうか。重大な病に侵されている人に、「病名を告げるとショックを受けるから言わないでおくね。」「この薬は苦いから飲むのをやめようね。」「この注射は痛いから打つのをやめようね。」と言う人は、決して柔和な人でも優しい人ではありません。むしろ、自分が傷つくことだけを恐れる身勝手で残酷な人ですね。本当の柔和さ、優しさを勘違いしてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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