デイリーディボーション 7月5日(木)

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デイリーディボーション 7月5日(木)

2018年7月5日(木)

コリント人への手紙 第一 5:11-13
11私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。12外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。13外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。

【ポイント】
①異邦人伝道の大変さを知る
11節の「不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者」とは、恐らく教会のリーダー、信徒から問題を指摘されながら、その問題を悔い改めることもなく、むしろ開き直って、問題行動を続けている人々ではないかと想像できます。というのも、キリストのからだである教会の基本的な姿勢は、例えばコロサイ3章13節にある「13互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」というものだからです。イエス様も「21主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」と尋ねてきたペテロに対し「22七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」(マタイ18章)と教えられています。ですから、ここでパウロが非難しているのは、突発的に問題を起こしてしまった人ではなく、問題だと知りながら平然とその行動を続けている人々なのでしょう。

先日も学びましたが、このパウロの厳しい指示は、問題のある人を排除するためではなく、そのような人々が自分の罪深さに気づき、悔い改め、正しい歩みに立ち返るためであることを忘れてはなりません。そうでなければ、人々が互いに重箱の隅をつつくように互いに問題点をさばき合う律法主義に陥ってしまうからです。イエス様の赦しを理解しているパウロがここまで厳しい態度で臨んでいるということは、コリントの教会の問題が私たちの想像をはるかに越える深刻なものだったということなのでしょう(参5:1)。

ライフチャーチ
大谷信道


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