デイリーディボーション 8月3日(土)

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デイリーディボーション 8月3日(土)

2019年8月3日(土)
マルコの福音書 14:1-2 1さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。2彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。
【ポイント】 ①そこに「信仰」は働いているのか? 祭司長、律法学者たちはイエス様の殺人の相談をしています。信仰が形骸化し、死んでいる証拠です。しかし、祭司長も律法学者も、まだイエス様の十字架や復活を知りませんから、イエス様が本当に神の独り子であったことを知らないわけですから、彼らの気持ちを理解することはできます。
さて、現代社会におけるクリスチャンはどうでしょうか。私たちがイエス様から与えられている「隣人愛」「赦し合い」は機能しているのでしょうか。「信仰は日曜日に礼拝に行くこと、社会生活(政治、経済、外交の問題)は別」というような、信仰の形骸化は起きていないでしょうか。クリスチャンの人口が多い国では、国の在り方、隣国との関係において、クリスチャンの「愛」「赦し」などが良い影響を及ぼしているでしょうか。もし、そうでないとしたら、そのような信仰は死んだものと言えないでしょうか。結局、イエス様の十字架は「自分」が天国に行くための手段のようになり、罪の一番わかりやすい特徴である「自分ファースト」、「自国ファースト」のような状態に陥っていることはないでしょうか。もしそうだとしたら、私たちの信仰は、今日の箇所に出てくる祭司長と律法学者の信仰と何ら変わらない、死んだものになっているということです。
今の時代だからこそ、自己中心、自己実現のために神様の名を利用することは、極めて大きな罪だということを覚えておきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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