デイリーディボーション 9月1日(火)

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デイリーディボーション 9月1日(火)

2020年9月1日(火)
へブル人への手紙 11:2-3 2昔の人々はこの信仰によって称賛されました。3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
【ポイント】 ①「目に見えないもの」と見る 多くの人は、信仰とは「神様の存在を信じること」だと考えています。しかし、聖書を開けば(イエス様を知れば)、信仰の本質は真の神様の愛を知り、応答として神様愛することであることが分かります。
とはいえ、信仰の最初歩(入口)である、目に見えない神様の存在を信じるという点も決して見過ごしてはならないことを、今日の個所から教えられます。そもそも、天の父が御子を地上に遣わされたのは、地上の人間が目に見えない神様の本質を知ることができるためでした。再度1章1-3節を確認してみましょう。
ヘブル人への手紙1章1-3節 1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。3御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
つまり、目に見えない神様の存在を認めることを当たり前だと考えている私たちクリスチャンは、神様が目に見えない霊的な領域について、肉体をもった人間が見ることができるようになることを望まれていることを忘れてはならないということです。ヘブル書10章1節には「律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。」とありましたし、コロサイ人の手紙2章16-17節にも「16こういうわけですから、食べ物と飲み物について、あるいは、祭りや新月や安息日のことについて、だれにもあなたがたを批評させてはなりません。17これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。」
つまり、信仰に生きるとは、目に見えない神様の愛、目に見えない神様の計画、目に見えない神様の福福などを、あたかも目で見ているかのよう受け取り、信じ、その霊的な現実の中に生きて行くことなのです。そして、地上の目に見えるもの、物質的なものを中心に生きている人は、聖書で言う「信仰」とは、関係の無い世界に生きていることになってしまうのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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