デイリーディボーション 9月15日(火)

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デイリーディボーション 9月15日(火)

2020年9月15日(火)
へブル人への手紙 12:2-3 2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。3あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。
【ポイント】 ①再度、イエス・キリストの十字架の愛について考える 天地万物(全宇宙)を創造されました。そして創造主である神様は、ご自分が造られたものに対して「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。」(創世記1:31)と言われました。それでは、神様はこの時点でアダムとエバが神様の言いつけを破ることを予見していなかったのでしょうか。聖書は神様が全知全能と教えていますから、決してそうではないでしょう。
神様は人間だけをご自分に似たものとして、自由意思を持つ者として造られました。それは、人間は自分の遺志で神様を拒絶したり、無視する可能性があるものとして造られたということです。つまり、神様は人間を神を愛するようにプログラムされているロボットとして造られたのではなく、ご自分をを裏切る可能性があるという特別な存在として人間を創造されたのです。しかも、神様は人間の完成に満足され、愛されたのです。
そのような意味で、神様は人間を創造されて以来、神様と人間の愛の物語(歴史)が始まったという言い方もできるでしょう。神様はご自分の愛を人間に表し人間がその愛に応え、自らの意志で神を愛する者となることを期待しているのです。さらに聖書全体から、神様は「人間の頭や心を不思議な力や恐怖によって一切操作しない」という絶対的なルールを持たれていることが分かります。
それでは、もしあなたが神様だったとしたら、自由な意思を持ち、神様を肉体の目で見ることができない人間に自分の愛を伝え、自分を愛する者として振り向かせたいとしたらどのような方法を考えますか。この世では、相手の気持ちを「もの」「お金」「家柄」「自分の社会的地位(職業)」で引き寄せようとする人がいます。また、「玉の輿」を期待して、そのようなものに惹かれ結婚を決意する人は少なくありません。しかし、誰でもそのような愛が純粋なものではないことを知っています。ですから、まことの神様はそのような不純な手は使いません。また、「永遠のいのち・永遠の祝福を与える力」に期待して、近寄ってくる人々も喜ばれません。なぜなら、それでは、本当の意味で自分の愛で人間を振り向かせることにはならないのです。あなたが神様だとしたら、どうしますか?
神様の最終的な愛の表現はイエス・キリストの十字架でした。現代人から見ると、キリストの十字架は古代の物語のように感じるかもしれませんが、決してそうではありません。2000年前の人々にとっては、最新のリアルな出来事であり、その本質は、時代や地域を越えた普遍的なものなのです。神様はご自分の一番大切なものを罪の性質をもつ人間のために諦められたのです。御子イエス様は、ご自身(天の父)の愛を示すために、苦しみを受け、自分のいのちを犠牲にされたのです。
この世には、真理らしいことを語る人々は大勢います。人々の心に響く救いの教えを説く人々もたくさんいます。しかし、その人があなたのために自分の地位、人々からの尊敬、財産を捨てるだけでなく、自分のいのちを差し出す者でなければ、その真理、その愛に不純物が含まれている可能性があることに気が付かなくてはなりません。また、自分の教えの正しさに自分のいのちをもって責任をとらず、「私は真理を伝えているだけです」と言うような人の教えに、自分の人生を懸けてはならないのです。
イエス様は真理を語り(例:「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:13)、その真理が正しいことを証明するためにご自分の命を捨てられました。つまり、イエス様は神様の私たちに対する愛が純粋なものであることを、ご自分のいのちをもって証明されたのです。だからこそ、私たちはイエス・キリストを信頼し、自分のいのちを預けられるのです。「あなたのためならいのちを捨てることもできます!」「無条件の愛が大切なのです!」などと口で言うことは誰にでもできます。だからこそ、実際に私たちのために自分の命を捨てていない者を信じてはならないですし、実際に命を捨ててくださったイエス・キリストを安心して信じ、愛することができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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