デイリーディボーション 9月18日(金)

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デイリーディボーション 9月18日(金)

2020年9月18日(金)
へブル人への手紙 12:11-13 11すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。12ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。13また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。
【ポイント】 ①何の訓練なのか? その2 結婚の約束をするということは、結婚相手以外に異性としての魅力を自分から積極的に求めたり、別の誰かから誘惑を受けることを拒絶する決意をすることです。私たちはこのような姿勢を「愛」と呼ぶのです。自分の子どもに対しての愛も同じです。知能指数が高かろうが低かろうが、容姿が良かろうが悪かろうが、善良な人間として生きようが、犯罪者となろうが、親は最後の最後まで自分の子どもを受け入れ、赦す決意をするのです。それが、親の子どもに対する「愛」なのです。
しかし、この世の現実を見ると、夫婦の愛、親子の愛が揺るがされたり、ヒビが入ってしまうケースを数多く見ることができます。何が問題なのでしょうか。それは、自分の心がフラフラと動いてしまうことを止める訓練ができていないことが原因の一つです。アメリカの映画などでよく見る光景ですが、飲酒運転の疑いで警察に車を止められた人は、まっすぐに歩くことができるかテストされます。酒に酔った人は自分ではまっすぐに歩いているつもりなのですが、客観的に見れば、その足取りは右や左にそれてしまうのです。人間の心もそれに似ているのです。自分ではまっすぐに歩いているつもりでも、「好き・嫌い」とか「フィーリングが合う・合わない」など、実際には歩みが定まっていない人が多いのです。
それでは、私たちがまっすぐ歩くために何をしたらよいのでしょうか。それは、絶対に動かない目標を持つことです。言うまでもなく、それは唯一で真の神であり、その完全な啓示であるイエス・キリストです。つまり、12章2節の「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」という命令こそが、私たちにとっての訓練なのです。
別の言い方をすれば、自分がイエス・キリストから目を離してしまうことがあることに気が付けば、自分の心が定まらず、フラフラとした歩みになっていることに気が付くことができるということです。信仰においても、夫婦関係においても、親子関係においても、フラフラとした状態は「愛」と呼ぶことができないのです。日本語の「浮気」ということばも、気持ち(心)が定まらず、プカプカと浮き、風のおもむくままに流されている様子を表していますね。
心の赴くままに生きることを止めることに抵抗を覚える人はたくさんいることでしょう。そのようが楽ですし、楽しいですね。しかし、自分の心を野放しにしたところには、聖書が教える信仰の成長も、愛の成長もないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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