デイリーディボーション 9月25日(水)

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デイリーディボーション 9月25日(水)

2019年9月25日(水)
ピリピ人への手紙 1:15-19 18すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。19というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。20それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。21私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。
【ポイント】 ①すべてはキリストがあがめられるため 昨日の17節をもう一度見てみましょう。「他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。」今日の箇所の背景に、パウロを苦しめようとしている人々の存在があることを覚えておきましょう。パウロは「見せかけ」の福音であっても、福音が宣べ伝えられているのであれば、それを喜ぶと告白しています。もちろん、投獄されることによってローマ帝国の中枢にいる人々にイエス様の福音を伝える機会を得ていることは事実でしょうが、同時に、今すぐ各教会を訪問し、間違った福音を伝える人たちから教会を守り、彼らを論破したいという思いがあったことでしょう。しかし、それは不可能であり、「党派心」から伝道している人々は、パウロの投獄をあざ笑いながら自分たちのグループを大きくしつつあったのです。パウロはなんともどかしい思いをしてたことでしょう。
そのような状況の中でパウロができることは、この手紙をもってピリピ教会のクリスチャンを励まし、教え、一致を保ってパウロが伝えた純粋な福音を伝え続けさせることでした。特に、今日の箇所は、この先パウロが釈放されようが、処刑されようが、「キリストがあがめられること」に変わりがないので、動揺せずに、しっかりと歩みなさいというパウロのピリピ教会のメンバーに対する励ましを感じることができるのです。
パウロのピリピ教会に対する願いは、ピリピ教会の正しい福音による一致と自立だと思います。もちろん、自立のためには福音の学びは不可欠なわけですが、学びによる成長が結ぶ実は、主にある教会の一致なのです。このテーマについては2章以降で深く学ぶことになります。しかし、この手紙に込められたパウロのピリピ教会に対する願いを明確に知らないと、どのように熱心に学んだとしても「木を見て森を見ず」になってしまうのです。残念ながら、そのような学び方をしているクリスチャンが多いのです。つまり、個人的な学び、個人的な成長、個人的な祝福で止まってしまい、学びが教会全体の成長、祝福に生かされないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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