デイリーディボーション 9月7日(金)

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デイリーディボーション 9月7日(金)

2018年9月7日(金)

コリント人への手紙 第一 14:14-15
14もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。15ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。16そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。

【ポイント】
①教会の徳を高める ーその5ー
「17あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。」パウロのポイントはこの17節に要約されています。昨日も学びましたが、問題は「異言」という賜物にあるのではなく、賜物を正しく用いることができない人にあるのです。残念なことに、コリントの教会で起きていた問題と同じ問題が現代の教会でも起きています。しかし、2000年たった今での、私たち人間のの性質は変わることがないので、当然といえば当然なのです。

異言を語る者が、語らない者に対して自分はファーストクラスクリスチャンであるかのような「優越感」を覚えたり、異言の賜物を不必要にひけらかしたりするケースが後を立ちません。その結果、異言を語れないと「劣等感」を覚えた人が、ファーストクラスクリスチャンの仲間入りをするために必死に異言の賜物が与えられるように祈ったり、中には練習したりする人まで出てきてしまうのです。たくさんある賜物中で、教会の徳を高めることができない異言の賜物ばかりに注目が集まり、肉的な欲求からその賜物を求めてしまう人が増えてしまうという現象は、大変おかしなものなのです。

しかし、私たちは覚えておくべきです。私たちがやがてイエス様のお会いするときに、わたしたちが異言を語れるという理由で私たちを褒められることはないのです。なぜなら、御霊の賜物は私たちの努力によってではなく、神様の恵みとして与えられるものだからです。もし、褒められることがあるとすれば、私たちが与えられた賜物を、与えてくださった方の御心のために、正しい目的のために用いることができたことでしょう。イエス様は、私たちのしもべとしての忠実さを褒め、祝福をもって迎えてくださるのです。

マタイ6章のイエス様の祈りについての命令から聞いてみましょう。異言で祈るのであっても、適用すべき教えです。「祈り」という純粋な信仰的な行為の奥に肉的な欲望が存在しうることを覚えておきましょう。

5また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

6あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
7また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
8だから、彼らのまねをしてはいけません。

ライフチャーチ
大谷信道


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