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2021年1月15日(金)
ペテロの手紙第一 4:14-18 14もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。15あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行なう者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。16しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。17なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。18義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
【ポイント】 ①キリスト者として苦しみを受ける この世は常に「罪」の方向に流されています。自分が善良な国民であると思って生活している日本人は数多くいると思いますが、ほとんどの日本人は世界に存在する貧富の差によって豊かな生活を手に入れています。100円均一ショップで節約ができたことに喜ぶ人が多いですが、その陰に海外で非常に安い労働力で働いている人々がいることを気にする人はほとんどいないでしょう。私たちにそのような意識ないとしても、私たちが、豊かな者が貧しい者から搾取し、更に富を増やしているという構造の一部になっていることは否定できないのではないでしょうか。
クリスチャンであるかないかに関係なく、社会(世界)に目を向け、例えば、経済的な不平等を直視する時に、私たちは様々な葛藤を覚えるはずです。この世の様々な矛盾や偽善に目をつぶっていることに気が付くからです。クリスチャンはさらにそうなはずです。聖書から神様の御心を知り、聖霊の働きによって自分の罪深さに気づかされるときに、私たちは神様の前に正しい生き方を選択したいと思うようになります。しかし、この世の人々の価値観と衝突することが多いので、生きづらさを感じるのです。パウロもローマ人への手紙12章2節で「2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と命令していますが、この歩みには困難が伴うのです。
反対に、もしあなたがこの世に生きづらさを感じていないとしたら、それは、依然として神の国の価値観によってではなく、「この世と調子を合わせて」生きているからかもしれません。
ライフチャーチ 大谷信道