デイリーディボーション 1月17日(水)

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デイリーディボーション 1月17日(水)

2018年1月17日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 4:1-3
1それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。2もしアブラハムが行ないによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。3聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。

【ポイント】
①真の神は変わることがない
聖書全体から導き出すことはできる神様についての性質の一つは神様の「不変性」です。つまり、「神様は変わることがない」ということです。例えば、マラキ書3章6節には「主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。」とあります。さらにヘブル人への手紙13章8節にはキリストについても「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」と記されています。「神の不変性」は聖書全体に見ることができる神様の性質なのです。

使徒パウロも「神の不変性」についてよく理解し、大切にしていたことが分かります。というのも、恐らく新約聖書の時代のユダヤ人はモーセの律法の存在を前提として宗教システムを構築していたと思われますが、実は律法は最初から存在し、いつまでも変わらない「不変」的なものではないのです。事実、アブラハムの時代には律法など存在していなかったのです。

ですから、パウロは、律法が存在しない時代にアブラハムが神様から100%受け入れられた(義とされた)のであれば、神様は不変の方ですから、アブラハムが義とされた法則がその後の時代にも適用されなければならないと説明しているのです。律法ではなく「信仰による義」という法則こそ、聖書の初めから一貫して存在している変わることがない神様の決まり事であるということなのです。

反対に、もしアブラハムには適用された「信仰による義」という法則が無効になってしまったとすれば、神様はコロコロと自分のルールを変えてしまう方であるということになってしまいます。ということは、私たちの救いの約束も無効にされてしまう可能性があるということです。神様はすべての創造主であり、天地万物の所有者ですから、ご自分のルールを勝手に変えてしまっても何の問題もありません。神様は自分の好きことを、好きなタイミングで行う権威を持っているのです。神様はご自身がルールなので何をしてもよいのです。しかし、神様はご自分が神であるために、正しいことしか行われないのです。

神様の「信仰による義」は、イエス様やパウロが勝手に作り出した新しい教えではなく、旧約聖書の最初から見ることができる神様のルールなのです。そして、律法が与えられていない私たち異邦人も「信仰による義」というルール、別の言い方をすれば「神様の愛と恵み」によって、神様の子どもとされるのです。そして、この約束は永遠に変わることがないのです。本当にすごいことですね。

ライフチャーチ
大谷信道


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