デイリーディボーション 1月20日(金)

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デイリーディボーション 1月20日(金)

2023年1月20日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章31節 31では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。32私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。33神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
①「敵」とはだれか? 今日の個所をパウロの意図通りに受け取るためには、パウロが想定している「敵」が誰なのかを知る必要があります。なぜなら、多くのクリスチャンが間違った「敵」を想像してしまっているからです。例えば、特定の人と人の争い、国と国の争いなどに当てはめ、誰か(どの国)かを「敵」と考え、その「敵」との戦いに勝利するために、自分たちの陣営を鼓舞するために用いられたとしたら、それは完全なる間違いであり、パウロの思いを完全に無視することになります。
いつものように文脈から考えてみましょう。33節の「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか?」「罪に定めようとするのはだれですか?」ということばから、パウロが想定している「自分たちに敵対してくる者」とは、イエス・キリストの福音を否定し、イエス・キリストを信じ、愛する者が依然として罪の中にあると主張し、イエス様の十字架の贖いを否定する人たちです。たとえば、イエス・キリストを信じないユダヤ人は、異邦人はその存在自体が罪であり、ユダヤ教に改宗し律法を守らない限り(異邦人である限り)神様の義を得ることはできないと考えクリスチャンを攻撃したことでしょう。または、イエス・キリストを信じていると言いながら、イエス様の十字架による罪の贖いを受けるためには、割礼を受けユダヤ人になる必要があると考えた、ユダヤ人クリスチャンたちもいたようです。いずれにしても、パウロにとって自分たちに敵対してくる者とは、ユダヤ人にも異邦人にも恵みとしてえられている、御子を信じる信仰によって義とされるというイエス様の福音、神様の愛を否定する者なのです。決して、人間的な争いにおける敵などではないのです。
現代の日本に暮らすクリスチャンは「イエス様の福音を否定するクリスチャン」「割礼を強要するユダヤ人クリスチャン」などの人々に会うことはないわけですが、今日の個所からどのようなメッセージを受け取ることができるのでしょうか。パウロが考えている「私たちに敵対する者」の目的は、イエス様の福音を信じる者の信仰を奪い去ることです。彼らの攻撃を受けたクリスチャンは、「自分の救い」「自分の罪の赦し」の確信を揺るがされ、「イエス様の福音は虫が良すぎる。やっぱり律法を守ったり、何らかの儀式を受ける必要があるのではないか?」などと考えてしまうわけです。現代においても、「イエス様を信じるだけで、本当に自分は救われているのだろうか?」と不安を覚えたり、「お前のような罪深い人間が救われているわけがないだろう!実際にしょっちゅう罪を犯しているではないか。お前などクリスチャン失格だ!」などという声が心の中で聞こえてしまったりするクリスチャンがいるのではないでしょうか。今日のみことばは、自分の信仰(福音)に不安を感じている人への大きな励ましとなることでしょう。
さらに、この後の節で、パウロはイエス様の福音の核心について教えています。イエス様の福音、そして自分の救いについて不安を覚えている人が、その不安をどのように解決すべきなのか(不安を覚えないようにするためにどうするべきなのか)を具体的に教えてくれています。自分の信仰について誰かから否定されたとき、そうではないけれど、不安を覚えるときに、パウロが教えるポイントを自分の心に言い聞かせるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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