デイリーディボーション 1月27日(金)

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デイリーディボーション 1月27日(金)

2023年1月27日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 9章1-5節 1私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。2私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。3もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。4彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。5父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。
①パウロの手紙は神学論文ではない。 注解付きの新改訳聖書には、ローマ人への手紙の「特色」の欄に次のような説明が載せられています。「この手紙はパウロの手紙の代表的なものである。特に教理に重点が置かれ、論理的、体系的に書かれているため、内容的には論文の性格が強い。」わたしは、ここに聖書が学問としての研究対象として取り扱われてきた弊害を感じざるを得ません。ネガティブな表現を使えば、聖書がインテリの手に落ちてしまったということでしょうか。もちろん、聖書の学術的な研究は極めて重要なものですが、例えばパウロに神学的な論文を書き、それをローマのクリスチャンに送ったと考えるのは、その研究者の先入観が強すぎると言わざるを得ません。
パウロの手紙執筆の目的は、研究発表ではありません。この1点において、たとえ彼の手紙に「論理的」「体系的」という特徴があったとしても、この世の研究者の論文とは決定的に違うのです。パウロの手紙執筆の理由は「新しい説の発表」でも「教理の説明」でもなく「教会の問題解決」です。ですから、彼の手紙を読むときには、パウロに手紙を書かせた問題、つまり、その教会にどのような問題があったのかを知ることが重要になるのです。ただ、問題は、各教会からパウロに向けて書かれた手紙が現存していないので、パウロの手紙を読むのは、電話をしている片方の人の言葉だけを聞き、相手が何をしゃべっているのかを想像するようなことに似ているのです。
今日の個所からも、パウロが聞いていたローマの教会の問題をパウロのことばから想像することができます。パウロは、同邦である「ユダヤ人」にむけて語りかけていることが分かります。それは、ローマの教会に起きている問題の原因が「ユダヤ人」にあることを示唆しています。というのも、もしそうでなければ、パウロが異邦の地にあるローマの教会に向けた手紙の中で、わざわざ「ユダヤ人の救い」について、特別に語る必要がないからです。このことは、既に学んだ2-4章にも見ることができました。
パウロは、ローマの教会の中に分裂・分派の問題が発生していること、そしてその構造が「ユダヤ人クリスチャン VS 異邦人クリスチャン」であるという情報を得ていたのでしょう。そして、その問題の原因がユダヤ人クリスチャンたちの間違った福音理解であると理解していたのでしょう。しかし、パウロは問題の原因を作っていたユダヤ人クリスチャン(福音理解が間違っていたので、厳密には救われていない、自称クリスチャンのユダヤ人たち)に心を開き、彼らをさばくことなく、むしろ同邦としての愛情と敬意をもって語りかけているのです。
パウロは、イエス・キリストの福音が正しく語られ、人々が正しく理解し、受け入れるときに、ユダヤ人的には絶対にありえないユダヤ人と異邦人の主にある一致が可能であると確信していました。その確信は1章16節で「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」と語られた通りです。さらに、パウロの確信は「天国に行く」というでの「救い」ではなく、本当にイエス様の福音を信じた者の姿です。それは「主にある一致」なのです。
そのような背景を考えながら、手紙を読むと、同邦であるユダヤ人に対する熱心さや気遣い、かつては汚れた存在であった異邦人に対する愛、その両者がキリストの愛によって一つとなるという神様の御心(イエス様の福音)についての確信を知ることができますね!
ライフチャーチ 大谷 信道


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