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2020年10月15日(木)
ヤコブの手紙 1:19-20 19 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
【ポイント】 ①「怒り」は教会の交わりを破壊する 今日の個所も「文脈」から離れれば、どこにでもある倫理的な教えになってしまいます。「怒り」や「怒りに任せた発言」が何か良い物を生み出すことはないということを、誰でもが経験として知っています。ですから、人間社会において「怒り」を適切にコントロールすることは非常に大切なことですし、「6秒ルール」などのアンガーマネージメント(怒りの制御方法)もたくさん提案されています。
それでは、今日の個所でもヤコブはより円滑な人間関係の構築のヒントとして怒りのコントロールについて教えているのでしょうか。文脈からみると決してそうではないことは確かです。しかし、「誰が怒っているのか」「誰に怒っているのか」「何に怒っているのか」などについての具体的な内容はは直近の文脈からだけでは分からないので、ちょっと厄介ですね。
しかし、「この手紙が教会に対して書かれた」という背景は変わることがないので、ヤコブが「教会の中で怒っている人」に対して、怒りをコントロールするように奨めていることだけは確かです。さらに「神の義を実現する」ということばから、教会の中で何らかの問題を感じている人が、その問題を解決するために(神様の前での正しさを求めるために)、問題を起こしている人に対して「怒り」を覚えていることは確かです。
ここで、私たちは現代の教会にも適用することができる、教会が陥る典型的な現象を見ることができるのです。それは「さばき合い」です。つまり、自分は神様の前に正しことを行っていると信じている人が、そうでないと思われる人に対して「怒り」を覚えたり、さばいたりするという現象です。教会に中における分裂や分派の根本的な原因は、双方が「自分が正しい」と思い込んでいることにあるのです。
ところが、神様の御前では、原因が何であれ、教会の交わりが壊されること、集まりが散り散りされることこそが大問題なのです。なぜなら、何が問題であっても、どちらが正しいとしても、そこに「怒り」が入り込むことによって、結局、神様ではなく、悪魔が喜ぶ教会の弱体化、不健全化という結果を招くことになるからです。悪魔の思うつぼなのです。
ここに「試練」があり、「忍耐」が求められるのです。「教会」の話ではありませんが、多くのクリスチャンも関係している、今のアメリカの大統領選を見ているとこの原理原則がよくわかると思います。本当に聖書を信じるクリスチャンは「聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」という戒めを守らない者が国のリーダーになるときに、その人がどれほど聖書的に正しいと思われるような政策を掲げていたとしても、国に平和や一致をもたらすことはできないという、真の聖書のメッセージを知るべきではないでしょうか。
アメリカの教会、宣教団体は世界中に宣教師を送り続けています。ですから、アメリカのクリスチャンが本当の意味で聖書的な信仰を持つことができるように、目先の経済発展や、神の名を利用するナショナリズム、表面的には聖書的に聞こえるプロパガンダにだまされることなく、神様の前での正しさを追い求めることができるように祈りましょう。これは、決して他人事ではありません。私たちも、常に神様の前に正しい選択をすることができるように祈り求めましょう。
ライフチャーチ 大谷信道