デイリーディボーション 10月17日(火)

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デイリーディボーション 10月17日(火)

2023年10月17日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 3:4-8 4ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
【ポイント】 ①「党派心」という人間の罪の性質と決別する。 「自分の仲間を集めたい」「強い力を持つグループに入りたい」という欲求は、人間の「性・さが」と言っても過言ではありません。証拠に、幼稚園・保育園などの人間の成長の初期段階にある幼児の集まりの中でも仲間づくり、仲間外れという「党派新」につながるような現象を見ることができます。この事実を考えるときに、そもそも党派心とは、幼稚、未成熟な人間が陥りやすい現象であるということもできるかもしれません。あなたは、どうでしょうか。自分の普段の生活を振り返るときに、何らかのグループに入っていないことに不安や恐れを覚えたり、グループに属していることに安心を覚えたり、影響力の強い人がリーダーであるグループに属しているときに「虎の威を借る狐」のように、気持ちが大きくなっていたりすることはないでしょうか。そのような状態をパウロは「党派心」と呼んでいるわけですが、パウロがそれが「肉の行ない」、つまり人間の罪の性質に従った行いであると断言しています。(ガラテヤ5章)
党派心が人間の罪の性質の一つであるとしたら、当時のコリント地域、そして現代の日本においても人々が党派、派閥を作ることは、ある意味当たり前の行為なのかもしれませんが、イエス・キリストを信じている私たちにとっては決してそうではないのです。なぜなら、私たちクリスチャンは唯一の神様を愛し、従うことを決心した者たちであるので、神様以外の誰かに特別な権威を認めたり、その権威に従ったりすることは偶像礼拝にもつながる罪深い状態であること、不完全な人間に心酔したり盲目的に従ったりすることは極めて愚かなことであることを知っているからです。
キリストのみことばと御霊に導かれる者は、神様が自分の愛し、神様が自分の味方であることを知っているので、自分の味方・仲間や、自分の考えに賛同してくれる誰かを探す必要はありません。つまり、党派心から自由にされるということです。それは、先に述べたように、クリスチャンとして、人間としての成熟でもあるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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