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2022年10月18日(火)
ローマ人への手紙 4章23-25節 23しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
【ポイント】 ①アブラハムが義と認められた出来事は、私たちにも起きる アブラハムは律法が与えられる前の人物です。また、アブラハムが義と認められたのは、割礼を受ける前のことでした。この事実は極めて大きな意味を持ちます。つまり、人間が義とされるのは、割礼を受けユダヤ人となり、律法を守るという行いによるのではないことが分かるからです。アブラハムは、神様を信頼し、神様を愛する決意をしました。聖書はそれを「信仰」と呼んでいるのです。
ですから、アブラハムと同じように神様を愛し、信頼し、従う決意をした者を、神様は義と認めてくださるわけです。しかし、そこではもう一点、絶対に忘れてはならないポイントがあります。それは、イエス様の十字架です。神様は、アブラハムの時代の後に、イスラエルの民に与えられた律法を廃止されたわけではありません。つまり、イエス様は「モーセの時代に与えられた律法は無効になったので、あなたは神様を愛するだけでいいのですよ!」と教えられたわけではないのです。イエス様は、罪の赦しのためには動物の血が流される(いのちを犠牲にする)という律法を全うされたのです。そして、神の独り子イエス・キリストが私たちの罪を贖う神の小羊としてご自身を捧げられたという驚くべき事実を知るときに、神様の愛・キリストの愛を知ることができるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道