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2023年10月24日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 3:6-7 6私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。7それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
【ポイント】 ①「クリスチャンの成長の姿」を正しく理解する パウロとアポロはそれぞれに与えられている役割を実践しているだけであるので、その二人の優劣を比較することは全く無意味であることが分かります。例えば、家の建築に携わる、左官職人、大工職人、配管職人、電気工事職人は、それぞれの役割が全く別なので比較したり、優劣を決めることなどはしませんね。それと一緒です。「私はパウロにつく」「私はアポロに」というのは、「争いは良くない」というよりも、そもそも神様の計画の全体像を理解していない全く無意味な行為であることが分かります。
ですから、ここで重要なポイントは神様が望まれている「クリスチャンの成長」と、その具体的な成長の姿(ビジョン)を正しく理解することなのです。もし、コリント教会のクリスチャンたちが、それを正しく理解していたとしたら、「〇〇につく」などという争いがいかに馬鹿げた無意味なものであるのかを理解できたはずなのです。クリスチャンの成長とは、一言で言うのであれば「愛する者となる」ことです。つまり、イエス様の愛を受け、イエス様の命令に従って、神様を愛し、隣人を愛する者へと変えられることです(マタイ22章36-40節)。
ここで、さらに重要なポイントは、クリスチャンの成長は群れの中で可視化されることです。なぜなら「愛すること」には、常にその対象が必要だからです。つまり、一人のクリスチャンが、隣人とどのような関わり方をしているのかを見なければ、その成長について知ることはできないということです。他者と深く関わらず、教会での礼拝の出席、個人的な聖書の学び、個人的な祈りの時間をどれほど長く続けていたとしても、一人姿からだけでは、その人がクリスチャンとして本当に成長しているのか否かを判断することはできないのです。一方、教会に長く通い、聖書の知識も豊富で、熱心な祈りを毎日続けている人がいたとしても、その人が教会の中で分裂、分派を起こすような行動を取っているとしたら、それはクリスチャンとして全く成長していないことが分かるわけです。
私たちクリスチャンは、神様が望まれている成長の姿を正しく理解し、正しく共有していることが極めて重要です。教会全体が正しい成長のビジョンを共有していれば、コリント教会で起きて無意味で愚かな争いに加わる人がいなくなるはずなのです。自分に賛同する人がいなければ、争いの原因を作っている人も、自分の間違いに早い段階で気づくことができるはずです。
ここでの問題は「クリスチャンとしての成長」だけでなく、実は「信仰(救い)の有無」にまで関わる極めて重大な問題でもあることを覚えておきましょう。なぜなら、互いに愛し合うことはイエス様の命令なので、互いに愛し合うことにいい加減な人は、イエス様に不従順であるという結論に達するからです。ヨハネの福音書とヨハネの手紙第一から確認してみましょう。
ヨハネの福音書15章10-12節 10もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。11わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。12わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの手紙第一 4章20-21節 20神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
コリント教会のメンバーだけでなく、現代にいきる私たちも、この問題の深刻さを理解し、イエス様の愛を受け、愛の応答として、イエス様の戒めである神を愛すること、隣人を愛することに真剣に取り組もうではありませんか。たとえ、目に見える結果が出ていなくても大丈夫です。大切なのは、イエス様の命令に真剣に取り組んでいる決意、姿勢なのです。時間と共に必ず良い実を結ぶことになるからです。
ライフチャーチ 大谷信道