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2020年10月26日(月)
ヤコブの手紙 2:14-16 14私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。15もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、16あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
【ポイント】 ①信仰と行い 今日の個所から、神様の前で何が正しいのかを頭で理解している事と、それを実践していることは全く別物であることを知ることができるからです。そして、ヤコブは、頭で理解しているだけで、実践していないとすれば、それは空しく、死んだ信仰であると指摘しているのです。
この信仰の自己矛盾を解決する方法は一つだけです。それは、頭で理解していることを実践することです。しかし、それは簡単なことではありません。簡単でないからこそ、実践が疎かになってしまうわけです。ですから、実践の前に、そもそも自分中にどれほどの自己矛盾が存在しているのかを洗い出してみましょう。つまり、神様の前で正しいことだけれども実践できないないことを明確にするのです。
次に、すぐに実践できそうだと思えることから始めてみましょう。それは、聖書を読むこと、祈ることかもしれません。または、家で普段行っていない家事を率先して行うことかもしれませんし、家族のメンバーにはっきりと感謝、励まし、謝罪の言葉を伝えることかもしれません。神様を愛すること、隣人を愛することで、簡単に実践できるはずなのに(そうであるがゆえに)いい加減になっていることがあるのではないでしょうか。
子どものころに、学校の宿題を放置したまま遊んでいても、心の底から楽しむことができなかったという思い出はありませんか。みことばの実践は、それと大変似たところがあります。心の奥底では実践すべきことを知りながら、それを放置していると、神様の祝福を心から喜ぶことができませんね。いつも、どこかで罪責感(うしろめたさ)を覚えながら生活することになってしまうのです。
ライフチャーチ 大谷信道