デイリーディボーション 10月29日(月)

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デイリーディボーション 10月29日(月)

2018年10月29日(月)

コリント人への手紙第2 2:12-17
12私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、13兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。14しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。15私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。16ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。17私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。

【ポイント】
①「神のことばに混ぜもの」に注意
パウロの時代に、すでにイエス・キリストの純粋な福音に「混ぜ物」をして、自分の金銭的な利益のための宗教活動をしていた人が大勢いたようです。以前にも学びましたが、そのような「混ぜ物」が蔓延する原因は、それを流布する人だけでなく、それを喜んで買う人にもあるのです。「混ぜ物」と「人々のニーズ」が合致しているからこそ、「混ぜ物」が売れるのです。

私たち罪深い人間のニーズは「自分の満足」です。その一例は「良いものを楽に手に入れたい」「良いものを安く手に入れたい」「良いものをすぐに手に入れたい」というものです。もちろん、技術革新、科学的新発見によって、かつては大変高価だった薬が、安く提供されるようなることもあるでしょう。しかし、テレビのコマーシャルなどを見れば、人々の「楽」「安」「すぐ」というニーズに応えるべく、各企業が必死になっていることが分かります。

しかし、イエス様の福音は人々の「楽」「安」「すぐ」というニーズに応えるものではありません。「混ぜ物」をしない純粋な福音は、ある人にとっては「死から出て死に至らせるかおり」なのです。決してすべての人に喜ばれる「かおり」ではないのです。すべての人に喜ばれようと努力して「かおり」を調合したとしても、それはもはや純粋な福音ではなく「混ぜ物」になってしまうのです。しかし、残念なことにこの「混ぜ物」を喜ぶ人が多いのです。混ぜ物がされた福音の例の一つは「現世利益型の福音」です。「イエス様を信じれば、あなたの願いが叶う」、または「聖霊に満たされればすべての問題が解決される」というような教えです。神様の計画として、不思議な形で必要を満たしてくださったり、問題を解決してくださったりすることはあるでしょう。しかし、神様は私たちの「楽」「安」「すぐ」というニーズを満たすために事を行われているのではなく、あくまでも、ご自身の御心に沿って事を行われていることを忘れてはなりません。

パウロは、たとえ人々から喜ばれないとしても、人々を悲しませる結果になるとしても、決して福音に混ぜ物をせず、純粋な福音を語り続けていると証ししているのです。そして、そのような歩みが真の使徒の務めでもあると説明しているのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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