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2020年10月31日(土)
ヤコブの手紙 2:25-26 25同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行ないによって義と認められたではありませんか。26たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。
【ポイント】 ①「行い」によって「信仰」を確認する その2 今日の個所のポイントは昨日と全く同じです。とにかく、大切なことは、私たちは神様(キリスト)の愛によって生き方が変えられるということです。神様との愛の関係が深まれば、神様の御心を行いたいとより深く思うようになるのです。この順番が重要なのです。
それでは、愛によって変えられるまで何もしなくて良いのでしょうか。ここが、クリスチャンとしての成長において大変難しいところなのです。愛に動かされ神様の御心を行っていくという明確な目標を持たず、いつまでたっても生き方が変えられないクリスチャンが少なくないのです。やはり、具体的な目標、そのための行動計画がないと、自分がクリスチャンとしてどの程度成長出来ているのかを確認することが難しく、イエス様の恵みのなかでのんべんだらりとした信仰生活を続けてしまうという危険性があるのです。
そのような観点からすると、行ないから変えていくという方法も決して悪いものではないことが分かります。だだ、この方法は「律法主義・裁き合い」に陥ってしまう可能性が非常に高いようです。「我慢」だけで、理想的なクリスチャン像を追求して行くようなやり方をしてしまうと、必ず疲れを覚えたり、熱心に取り組んでいないクリスチャンを裁きたくなってしまったりと、律法主義に陥ってしまうことが多いのです。そもそも、イエス様の戒めの1つは「相互愛」だったわけですから、本末転倒が起きてしまうのです。
ですから、私たちは「信仰・愛」と「行い」の二者択一ではなく、この両方をバランスよく行っていくしかないのです。愛・恵みという大義名分の中で、行いが伴わに怠惰なクリスチャンになっていないか、反対に、熱心に御心を行っているけれど、「自分は頑張っているのに、周りの人は!」というような裁き心が出ていないか、常に自分の信仰と行いのバランスをチェックすることが大切なのです。
ライフチャーチ 大谷信道