デイリーディボーション 11月14日(水)

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デイリーディボーション 11月14日(水)

2018年11月14日(水)

コリント人への手紙 第2 4:16-5:3
16ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。17今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。18私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
1私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。2私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。3それを着たなら、私たちは裸の状態になることはないからです。

【ポイント】
①私たちの真の希望 その2
パウロは自分はキリストから立てられた「使徒」である証明は、パウロが迫害や様々な困難の中にあっても愚直に伝道と教会形成の働きに身をささげていることであると証ししていました。そのような意味では、迫害や困難はパウロが使徒であることを証明するために必要不可欠なものであるとも言うことができます。

しかし、多くのクリスチャンがそのような理解をしているわけではありません。迫害ではなく、自分の思い通りにならないことが起きただけで神様を信頼することを止めてしまう人は決して少なくないのです。そこで、パウロは自分の体験を、パウロの手紙を読むすべてのクリスチャンにも体験してほしいと思い、迫害や困難の先にある「真の希望」について説明を続けているのです。

私たちの多くは、何かしらの困難に直面している時に「今すぐに問題が解決して欲しい!」という欲求を持つものです。お腹が空いているときは一分でも早く何かを食べたいと思うわけです。これは人間に与えられている本能であって、ごく自然なことです。この感覚が無ければ、食事をするのを忘れて体調を崩したり、餓死してしまう人が続出することでしょう。しかし、私たちは生命の危機に直結していないような状況であっても、苦しい状態を我慢するのが嫌な生き物です。この感覚も文明が発達する上では重要な原動力となってきたはずですので、100%悪いものではないかもしれません。

ところが、神様との信頼関係においては、嫌なことが我慢できないという性質は大きな問題になってきます。本能で生きている動物にとっては、自分の体の健康を維持し、子孫を残すという目的のためだけに生きることが重要です。しかし、不思議なことに私たち人間には「見えないもの」に目を留める能力が神様によって与えられています。伝道の書3章11節には「神はまた、人の心に永遠を与えられた。」とありますが、この「永遠」を思う能力こそが、人間と他のすべての動物の決定的な違いなのです。さらに、キリストを信じる私たちは「見えないものはいつまでも続く」ことを信じること、具体的には「天にある永遠の家」に希望を置くことができるのです。この希望こそが現実の困難の中で私たちに力を与えるものとなるのです。

繰り返し学んで来ていますが、現代にあっては「目に見えない希望」「永遠に続く祝福」ではなく、この世の人々が本能的に求めている「目に見える希望」「一時的な喜び」ばかりを強調して教える教会が少なくありません。しかし、今日の箇所をみれば、私たちが本当に求めるべきものは明らかなはずなのです。

長くなりましたが、最後にイエス様の山上の教えを聞いてみましょう。今日のパウロのメッセージが理解できると、全く別の教えとして聞こえてくるはずです。

3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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