デイリーディボーション 11月15日(月)

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デイリーディボーション 11月15日(月)

2021年11月15日(月)
マタイの福音書 13:24-28 24イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。25ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。26麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。27それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』28主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』
【ポイント】 ①「毒麦」とは? ここでの「毒麦」とは、成長過程では見た目が麦とそっくりですが、穂を出した状態にまで成長すると、麦とは別の植物であることが分かり、食用にもならない植物だということが分かります。
イエス様の福音とそっくりのメッセージを語る者が表れるが、そのメッセージを聞いた者たちのその後の歩みを見ていれば、それがイエス様の福音であるか、否かを見分けることができるということです。
それでは、結んだ「実」にどのような違いが表れるのでしょうか。それは「愛」です。神様との愛の関係、隣人との愛の関係が結実している状態です。
一方、偽の福音を聞いた者にも「平安」「喜び」「経済的祝福」「健康」などが実っているかもしれません。しかし、それらの結実は、別の宗教、思想を信じている人々にも結んでいるものです。周囲の人々が飢えに苦しんでいるのに、自分たちだけ満ち足りた生活をして、それがイエス様の祝福であると言っている人がいたらどうでしょうか。そのような祝福がイエス様の教えている「実」ではないことは、誰でもが直感的に分かりますね。
これらのことを考えると、現代においても、いかに多くの「毒麦の種」が牧師、宣教師、教師たちによってまき続けられているのが分かるのではないでしょうか。イエス様がまかれた「種」、そして期待されている実とは、マタイに22章37-40節に見ることができますね。
マタイの福音書 22章37-40節 37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。matt 22:39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
あなたの思い描いている「実」と、イエス様が期待されている「実」が異なっていることはないでしょうか。私たちが求めている「祝福」とイエス様が与えようとされている「祝福」が違うものになっていることはないでしょうか。それらは「似て非なるもの」です。
私たちが聖書をしっかりと学ぶ理由の一つはここにあります。みことばを学ぶことによって、私たちは「似て非なるもの」を見分ける力をつけることです。普通に聖書を読めば、「それって変じゃない?」「それって聖書と食い違ってない?」と、間違った教えに気づくことが誰にでもできるはずです。
ライフチャーチ 大谷信道


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