デイリーディボーション 12月12日(木)

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デイリーディボーション 12月12日(木)

2019年12月12日(木)
コロサイ人への手紙  3:22-23 22奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。23何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
【ポイント】 ①主に対してするように この個所を読んで「パウロが奴隷制度を肯定している!」と感じる人がいるかもしれませんが、決してそうではありません。まず、私たちが知るべきなのは、パウロの時代の「奴隷」は、例えばアメリカなどで行われていた黒人奴隷とは全く別物であるということです。戦争で負けた人々、負債の返済ができなくなった人々などが衣食住は保証されながら、奴隷として主人に所有されていました。当時、ローマでは3人に1人、それ以外の地域では5人に1人が奴隷であったといわれています。イメージとしては江戸時代の丁稚奉公、年季奉公に近いかもしれません。奴隷が家族のように扱われいたケースもあれば、虐待されていたケースもあったようです。
さらに、注目すべきは、今日の個所でパウロが奴隷に対して呼び掛けている事実から、コロサイの教会の中には奴隷身分の人がいたということです。これは、奴隷身分の人が教会への出入りが許可されていたという意味ではありません。奴隷身分の人々も神の家族の一員として教会で受け入れられていたということです。1コリント12章を見てみましょう。「12ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」これらのことばを見れば、パウロが社会的な制度として奴隷の存在を否定していないとしても、パウロの目には自由人、奴隷の区別はなく、みな主にある兄弟姉妹であったということです。ですから「パウロが奴隷制度を肯定している!」という感覚は間違っているわけです。
パウロは、イエス・キリストを愛する自由人と奴隷は、主にある兄弟姉妹として愛し合い、仕え合うことが可能であると信じていました。また、自由人と奴隷の主にある一致がなければ、キリストを信じる者の群れが主のからだとして一つとなり、本当の意味での教会になることがないと確信していたのです。大切なことは社会の制度を変えることではなく、主にあって互いに愛し合うことなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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