デイリーディボーション 12月14日(水)

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デイリーディボーション 12月14日(水)

2022年12月14日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章1-3節 1こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
【ポイント】 ①パウロの信仰に倣う 残念ながら、この世では「宗教(信仰)=ご利益を得る手段」という方程式が当然のように受け入れられています。さらに、残念な事実は、日々聖書を読んでいるクリスチャンの中にもこの方程式に疑問を持たない人が少なくないということです。私たちが、聖書の神様が求めている純粋な信仰の中に歩むためには、この世で刷り込まれている宗教(信仰)についての既成概念を捨て去ることから始める必要があります。
ローマ人への手紙一つだけでも、既成概念を持たずに注意深く読めば、神様が私たちに求めている信仰がどのようなものであるのかをはっきりと理解することができるはずです。今日の個所からも、パウロが何を信じ、パウロにとってのイエス・キリストの福音が具体的にどのようなものであるのかを知ることができます。
まず、分かることはパウロがイエス・キリストを信じている理由は、決してこの世的なご利益を得るためなどではないことが分かります。3節でイエス様の十字架の意味を説明していますが、そこにはこの世的なご利益について何一つ語られていません。
次に、パウロは天国に入ることの話をしているわけでもないことが分かります。クリスチャンも含め、多くの人が、キリストの今日の教え(救い)とは、「天国に行くこと」「地獄に行かないこと」だと思っているようです。7章24節の「24私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」という問いに対して、パウロは「イエス様を信じれば天国に行けるから大丈夫!」というような説明をしていないのです。
パウロにとって「罪」の問題は、因果応報として受ける地獄行の「刑罰」の問題でも、この世でご利益を受けられない「損」の問題でもないのです。昨日、説明した通り、パウロにとっての「罪」の問題は、未来の「刑罰」「損」の問題ではなく、現在の苦しみの問題なのです。
パウロにとっての問題は、自分の鍛錬や努力によっても、宗教的儀式によってもこの「罪」の問題を解決できないことに気が付いてしまったことです。さらに、この問題が問題である真の理由は、自分が神様との愛の関係を結ぶことができないことにあるのです。それが、パウロにとっての現在、そして永遠に続く苦しみなのです。つまり、ご利益が受けられないというような問題ではないのです。
パウロにとっては、イエス様、そしてイエス様の十字架は、神様との愛の関係を回復する唯一の道だったのです。その具体的な道とは、イエス様の十字架によって明らかにされた神様の愛を知り、その愛に応答することだったのです。ご利益を求める人には興味の湧かない話でしょう。また、宗教的な戒律を守ることにやりがいを感じている人の心にも響かない話でしょう。しかし、昨日学んだように、パウロと同じように、自分の罪深さに気づき、その深刻さを知った人は、神様(イエス様)の愛、あわれみ、恵み以外に問題解決の道がないことに気が付くはずなのです。
ご利益をもらうことに熱心な人、宗教に熱心な人は、浅瀬で「宗教ごっこ」という名の水遊びをしているようなものなのです。罪の深みに気づき、自分が溺れていることに気が付いた人は、必死に救いを求めるのです。
わたしたちは「宗教ごっこ」に陥ってはいないでしょうか? よく考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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