デイリーディボーション 12月16日(月)

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デイリーディボーション 12月16日(月)

2019年12月16日(月)
コロサイ人への手紙  4:2-4 2目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。3同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。4また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。
【ポイント】 ①「語りたいこと」ではなく「語るべきこと」を大切にする 今日のパウロの祈りの課題は、現代の牧師、伝道師、宣教師、教師に向けられたメッセージでもあります。
「キリストの奥義」とは、何が特別な訓練や知識によって獲得するものではありません。イエス様の福音です。「律法の行ないによる義」しか知らないユダヤ人にとっては「信仰による義」は一度も聞いたことがない特別な教え(奥義・秘密の教え)だったのです。しかし、新約聖書に記されている福音を手にしている私たちにとって「信仰による義」は秘密でも奥に隠された知識ではないのです。
では、現代の牧師たちは「語るべきこと」すなわち、すでに明らかにされている「キリストの奥義・福音」を語っているでしょうか?しかも、パウロが行っている通り「当然語るべき語り方で、はっきり」と語っているでしょうか? 礼拝説教が、自分の研究内容や自分の興味関心について語る「講演会」のようになっていることはないでしょうか。道徳の教科書や、多くの宗教や思想に共通する(どこにでもある)倫理・道徳を語っているだけになっていることはないでしょうか? 社会問題、個人の健康や経済的な祝福、精神的な癒しや慰め、可能性思考などに偏っていることはないでしょうか。もちろんそれらのすべては、聞く者の助けとなる良いものかもしれません。しかし、イエス様が私たちに求めているのは「良い話」を語ることなのでしょうか、それとも「福音・聖書のみことば」を語ることなのでしょうか。「聖書的な話」「聖書の関連のある話」と言いながら、説教・学びの内容が実際の「福音」から離れてしまっていることはないでしょうか。
私たち牧師も人間ですから、自分の興味関心があることについて語りたくなるものです。また、集まった人々の興味関心(ニーズ)に応えなければならないというプレッシャーを感じている牧師もいることでしょう。だからこそ、私たちは常にパウロの祈りの課題を自分の祈りの課題としていることが大切なのです。
テモテ2章2-4節 2みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。3というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
ライフチャーチ 大谷信道


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