デイリーディボーション 12月21日(水)

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デイリーディボーション 12月21日(水)

2022年12月21日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 8章12-13節 12ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。13もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
①御霊によって生きる 御霊によって生きることについて考えてみましょう。御霊によって生きるときの具体的な歩みは罪を犯さないことでしょう。しかし、それは決して「律法の行ない」に戻ることを意味しているのではありません。ここが、多くのユダヤ人にとって理解できないポイントだったのでしょう。しかし、ちょっと考えれば、実に簡単なことです。分かりやすい例から考えてみましょう。家事の手伝いを頑張っている子どもが二人いたとします。なぜ、そうしているのかを聞いたところ、一人目は「だって、手伝わないと親にひっぱたかられるから」と答えました。二人目は「だって、親が困っているから」と答えました。二人とも、親のお手伝いを一生懸命していることに違いがありませんが、その動機は全く別なわけです。一人は、親からの罰を恐れながら生き、一人は親を助けることを自分の喜びとしているわけです。クリスチャンの歩みも同じなのです。「罪を犯さないように生きる」という点では、「律法の行ないに熱心に取り組む人」も「御霊によって生きる人も」大きな違いはないように見えますが、その動機付けが全く違うのです。御霊によって生きる人は、神様に喜ばれることを自分の喜びとして生きるのです。天のお父さんとの愛の関係があるからです。
「律法の行ない」しか知らない人は、「違反の際に受ける罰がなければ、人はみな罪を犯すに決まっている!」と考えてしまうのでしょう。ですから、イエス様の愛と恵みの中に生きることが全く想像できないのです。しかし、「律法の行ない」と「信仰」によって生きる人の決定的な違いなのです。律法の行ないによってではなく、信仰(愛)によって義とされた人は、その後、罰が無くても、罪から離れ、罪を犯さない生き方へと導かれていくのです。
これは、神様との関係における成長と言っても良いかもしれません。私たちが幼いうちは、親から怒られなければできないことがたくさんあるものです。しかし、人間的な成長と伴に、親から怒られなくても、自分から進んで正しいことを選択できるようになるものです。律法がなければ罪を犯してしまうと考える人は、神様との関係において未熟であると言えるかもしれません。最後に、ガラテヤ人への手紙3章24-25節を見てみましょう。今日のポイントがさらによく理解できると思います。
「24こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。25しかし、信仰が現われた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。」
ライフチャーチ 大谷信道


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