デイリーディボーション 12月26日(土)

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デイリーディボーション 12月26日(土)

2020年12月26日(土)
ペテロの手紙第一 2:21-25 21あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。22キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
【ポイント】 ①イエス様の生き様に倣う 今日の個所の様々な表現から、ペテロがイザヤ書53章を思い出しながら語っていたことが分かります。イザヤ書53章を読むときに、イエス様が生まれる700年前に、すでにキリスト(救い主)について極めて正確に説明されていたことに誰でもが大きな驚きを覚えるはずです。
それでは、神様の綿密に計画された救い御業に対して、私たちはどのように応答すればよいのでしょうか。それが、25節に記されています。「25あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。」
繰り返し学んでいる事ではありますが、聖書は決して「救いを得るための方法(天国行のチケットを手に入れる方法)」を教えているのではありません。私たちの救いは、神様との愛の関係の中にあるのです。ですから、さまよっていた羊が羊飼いの声を聞き、羊飼いのもとに帰るときに本当の平安が与えられるように、わたしたちも「たましいの牧者」であるキリストのもとに帰るという応答をする必要があるのです。
さらに、キリストとの愛の関係に導き入れられた私たちは、私たちの愛するキリストのみことばを聞き、キリストの生き様に倣う者になりたいと思うようになるのです。反対に、そのような思いが与えられるということは、私たちがキリストを本当に愛しているということを意味しますし、その思いが与えられていないということは、救いを求めはするが、キリストを愛する者とはされていないことを意味するのです。
キリストを信じること(愛すること)と、キリストに倣う者として生きて行くことは、このように密接につながっているのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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