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2019年4月5日(金)
ガラテヤ人への手紙 6:8 8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
【ポイント】 ①本当に大切なことを間違えない ーその4- 「蒔く」ということばはから、この教えが「教師」「伝道者」に向けられていることが分かります。「自分の肉のために蒔く者」とは、ガラテヤ教会の中に入り込んでしまった「ユダヤ主義」の教師たちだと思われます。ガラテヤの教会にで起こっている出来事を見聞きしたパウロは、ユダヤ主義を教える教師たちの目的は肉的な利得を得ること、つまり「金銭」「名声」などを得ることであると断定しているのでしょう。しかし、その断定はパウロの主観からではなく、教会の中に「御霊の実」が結んでいないという、誰でもが客観的に確認することができる証拠によるものだったのです。
キリストの名によって行われる働きに関わるすべての者は、その働きが、キリストのからだである教会に御霊の実が結ぶことに直結しているのかどうかを常に確認することが重要だと考えます。たとえそれが、学生伝道の団体であっても、キリスト教出版社であっても、クリスチャン音楽の活動であったとしても、活動の主催者、そこに集まる一人ひとりが、教会外の活動で得た知恵、祝福を自分の教会にフィードバックし、キリストのからだが建て上げられていくこと、教会に御霊の実が結んでいくことにコミットしていなければ、結局「自分のミニストリー」「自分の満足」のため、つまり「自分のため」の働きとなってしまうのです。いくら一生懸命キリストの名を語ったとしても、それは「肉のために蒔く」ことになってしまうのです。
どんなに教会外の活動に熱心に取り組んだとしても、教会が強められ、健全にされて行かなければ、結局福音の前進は無いのです。パウロの心配の中心はそこにあるのです。パウロはガラテヤ教会がユダヤ主義の影響を受け、教会の交わりが破壊され、教会が衰退していくことに危機感を覚えているのです。パウロの手紙をどれほど熱心に学んでも、私たちがパウロの危機感を共有していないと、パウロが本当に伝えたかったことを理解することはできないのです。私たちクリスチャンが本当に大切にすべきこと、本当に向き合わなければならない課題は明確なのです。それは、健全なキリストのからだの建て上げなのです。
ライフチャーチ 大谷信道