デイリーディボーション 2月16日(木)

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デイリーディボーション 2月16日(木)

2018年2月16日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 7:18-20
18私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。19私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。20もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

【ポイント】
①葛藤が大事
今日の箇所に記されている「パウロの心の中の動き」に最も良く当てはまる日本語は「葛藤」でしょう。心の中にある相反する思いが、まるで「葛・かずら」「藤・ふじ」の枝(弦)のようにもつれ合っている状態を意味する言葉です。パウロの心の中では「善をしたいという願い」と「したくない悪を行っている」状態が混在していることが分かります。さらに、両方の思いはもつれ合っているだけでなく、「悪を行う」ほうが勝ってしまっていることに苦しみを覚えていることも分かります。

ここで極めて重要なポイントは「葛藤の苦しみが人間(信仰)を成長させること」を知ることです。自分の弱さ、ずるさ、怠惰さ、傲慢さ、冷たさなどを問題として認識していない人は「葛藤」を覚えることはありません。反対に何らかの「葛藤」を心に覚えているということは、私たちが神様の前に「正しいこと」「良いこと」「御心」を行いたいという願いを持っている証拠、聖霊の促しを受け入れいている証拠なのです。

②葛藤から逃げない
葛藤を覚えている状態は苦しいものですが、私たちの救い、成長のために不可欠なものであるは明らかです。未信者が葛藤から逃げれば、救いを求める思いもなくなってしまうでしょう。さらに、クリスチャンがが葛藤から逃げるということは、神様の御心、聖霊の語りかけを無視することを意味します。例えば、もし私たちクリスチャンがイエス様から与えられている大宣教命令(マタイ28:18-20)、大いなる戒め(マタイ22:37-40)を無視してしまえば、福音宣教、弟子訓練、互いに赦し合い、受け入れ合い、愛し合い、キリストのからだを建てあげる、神様の御国を拡大するという使命(責任)から解放されれ、どれほど心が軽くなるでしょうか。しかし、それは自分の心の欲求の赴くままに生きていく、罪の奴隷状態に戻ってしまうことを意味しています。ですから、この「心の軽さ」は本当の意味での「平安」でも「喜び」でもなく、肉の欲を満たす快楽からくる「軽さ」であることが分かります。

反対に、私たちは葛藤を覚え、自分の弱さに気づくからこそ、神様の救い、守り、導きを求め、その結果として本当の「平安」が与えられるのです。だから、葛藤から逃げてはならないのです。律法は私たちの心に葛藤の苦しみを引き起こさせ、私たちに救い、罪の赦し、神様の導きを求めさせるのです。

マタイ11章29-30節
「29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

ライフチャーチ
大谷信道


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