デイリーディボーション 2月26日(月)

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デイリーディボーション 2月26日(月)

2018年2月26日(月)

【通読】

ローマ人への手紙 8:14-16
14神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

【ポイント】
①律法主義の落とし穴に注意
「あなたは神様を、『天のお父様』って呼んでいるの読んでいるのだから、それが聖霊を受けている証拠(神様の子どもとされている証拠)なんだよ!」といような説明をするクリスチャンがいますが、そのような表面的な思考には注意が必要です。

同じようなケースはこの後10章に出てくる「9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」つまり、「口で『イエスは主です!』といえば救われるんだよ!」というような教え方には注意が必要です。

なぜなら、どちらも「天のお父様」「イエスは主です」というセリフを言うことが救いを得るための方法として勘違いされてしまう可能性があるからです。それは、「律法の行いによって義とされる」(例:ローマ3:28)という律法主義、つまり、ある特定の行為によって神様の義を獲得することができるという考え方に陥ってしまう危険性があるということです。

②神様は馬鹿ではない
「律法主義」の一番の問題は「神様を侮ること」「神様を馬鹿にしていること」にあるとではないでしょうか。つまり、「神様は自分の心の奥底まで知ることはできないだろう」という侮りが根底にあるというということです。

しかし、神様は私たちに騙される方ではありません。神様は私たちの表面的な行いではなく、心の中を知ることができる方です。(例:詩篇44:21) ですから、神様は私たちが心から神様を愛し、信頼し、主として人生を委ねる決意をしているか否かを、私たちの行為を見なくてもすべてご存知なのです。

ですから、今日の箇所でパウロが伝えようとしていることは、「アバ、父」という文言を口にするか否かではなく、自然と「アバ。父」と口から出てしまうような親密な愛の関係を築いていることが、私たちが神の子とされている証拠であるし、御霊に導かれている証拠でもあるということなのです。

③神様の愛に応える
救いについても、その後の信仰の歩みについて、一番大切なことは、神様の自分に対する愛を信じることです。そして「こんな自分を神様が愛して下さるはずがない」というような、自分の自分に対する勝手な評価を捨て去ることです。

ライフチャーチ
大谷信道


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