デイリーディボーション 2月9日(金)

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デイリーディボーション 2月9日(金)

2018年2月9日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 7:1-3
1それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか――私は律法を知っている人々に言っているのです。――
2夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。3ですから、夫が生きている間に他の男に行けば、姦淫の女と呼ばれるのですが、夫が死ねば、律法から解放されており、たとい他の男に行っても、姦淫の女ではありません。

【ポイント】
①律法の権限
パウロはここで、結婚(離婚)についての律法の解釈を教えているわけではありません。パウロは律法の権限についての説明のために、「結婚」についての律法を例として挙げているだけです。

パウロは6章で「6私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。7死んでしまった者は、罪から解放されているのです。」と教えていましたが、7章に入っても同じテーマが続いているのです。章立て(章、節の番号)はパウロが考えたのではなく、後からつけられたものなので、もしかすると、7章の6節までを「6章」としても良かったのではないかと思います。

パウロはイエス・キリストを信じ、イエス・キリストと一体とされた(6:5)と説明していましたね。これは、私たちの理解や想像を越えた、神様の御業です。イエス・キリスト信じるということは、イエス様が私たちの身代わりとして十字架で死んでくださったわけですから、私たちは霊的な領域でイエス様と共に十字架で死んだことになるわけです。この出来事は霊的な領域で起きたことなので、私たちの肉体や心(頭)で感じ取ることができるものではありません。

しかし、イエス様も自分の罪に死ぬことについてはっきりと教えられていましたね。「24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」(マタイ16:24-25)

イエス・キリストを愛し、信頼するときに目に見えない霊的な領域で何が起こっているのかがよく分かりますね。反対に、もし、私たちがイエス様と共に十字架で死ぬのでなければ、イエス様の十字架は何の意味もない行為になってしまいますね。

ライフチャーチ
大谷信道


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