誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2019年3月22日(金)
ガラテヤ人への手紙 5:7-12 7あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。8そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。9わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。10私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。11兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。12あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと切り取ってしまうほうがよいのです。
【ポイント】 ①真理に従わない例 「あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。」という質問は大変重要なものです。これまで、クリスチャンが律法主義に陥る理由をいくつか挙げてきました。しかし、律法主義に限らず、クリスチャンが真理に従わなくなってしまうケースは多数あるのです。かつてペンテコステ派(アッセンブリー・オブ・ゴッド)などは、人は聖霊のバプテスマによって救いを受け、その証拠として異言の賜物が与えられると教えていたようです。しかし「救いの証拠は異言」という理解は聖書の真理から外れていることが明らかなので、ある時期に教団の信仰告白に修正を加えたようです。
しかし、その修正も物事を複雑にしてしまっています。たとえば、アッセンブリー系列の◯◯◯ハウス教会の信仰告白をウェブサイトで見てみると「8.聖霊のバプテスマによる最初のしるし」という項目で「聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンは、まずそのしるしとして、神の霊によって授けられた言葉で、他の言語で話すことによって、証明される。」と記されています。つまり、「異言を話す」という部分を抜きたくないので、「救いの出来事」と「聖霊のバプテスマ」を切り離してしまったのです。つまり、人はイエス・キリストを信じても「聖霊のバプテスマ」はまだ受けていないと考えるのです。そして、クリスチャンになった後に異言で話せるようになると、それが聖霊のバプテスマを受けた印となるのです。となると、教会の中には、聖霊のバプテスマを体験し異言を話せるファーストクラスクリスチャンと、その体験がないセカンドクラスクリスチャンがいることになってしまうのです。ですから、異言を語らないクリスチャンは、ファーストクラスクリスチャンになられるように一生懸命祈り、周りのクリスチャンも「早く異言が話せるようになりますように」と熱心に祈るのです。少し考えればおかしな話だと気づくはずなのですが、異言が話せるクリスチャンは、自分のファーストクラスクリスチャンとしての地位、プライドを維持したいと思うのでしょうか、そのような教えを新しいクリスチャンに教え続けてしまうのです。
1コリント12章に記されている真理はこうです。「29みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行なう者でしょうか。30みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。」この箇所からだけでも、自分の信仰が真理から外れているか否かをチェックできるはずですね。そして、このような箇所があるのに、真理から平気でそれてしまうクリスチャンがいるという現実にも目を留め、決して他人事ではないと自分を戒めることが大切なのです。
ライフチャーチ 大谷信道