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2020年4月1日(水)
テモテへの手紙 第一 4:1-2 1しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。2それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
【ポイント】 ①「善意」は必ずしも「真理」ではない 「4月1日に緊急事態宣言が発表される(都市封鎖が起きる)」というようなデマに惑わされた人はいなかったでしょうか。牧師の中には情報の発信源や信頼性を確認せずにSNSでデマを拡散してしまった方がいるようです。以前「温かい飲み物でウイルスを殺せる」というデマをメールで拡散してしまった牧師さんもいました。しかし、この問題の深刻さは、世の中を混乱させるという「悪意か」らではなく、世の中の役に立ちたいという「善意」によって間違った情報を拡散させてしまっているのです。ですから、ご本人はデマを拡散しているという意識は100%ないのです。しかし、その「善意」の結果、その牧師を信頼している人は、その情報を信じ、間違った行動をとってしまう可能性があるわけです。つまり、100%の善意がこの世の混乱の原因を作っている可能性があるということです。牧師は、自分の考えを話すのではなく、人から聞いた話を受け売りするのでもなく、聖書の真理を伝える訓練を受け、聖書の裏付けを確認した上で、メッセージを発信するべき存在です。コロナウイルスについても、その姿勢は同じなのです。「真理」を伝える責任を負っている牧師は、たとえ専門外であったとしても、「真実」を発信する責任を負っていることを自覚するべきです。自分が発信する情報について科学的、医学的データの裏付けがあるのかを確認したり、提示したりする責任を負っていることを忘れてはならないのです。
牧師たちが、聖書の真理、真実を伝える責任を忘れる時に、今日の個所でパウロが指摘しているような状況が現実になってしまうのです。ここで、私たちが注意しなければならないポイントは、パウロが指摘している「惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われる者」「信仰から離れる者」は必ずしも、「悪意」を持っている人々とは限らないということです。「パウロの教えだけでは不十分だ!この教会をより良い教会にするためにはこの教えが必要だ!」という「善意」をもって、自分の教えを広めようとしている人々である可能性があるのです。どのような善意があろうとも、聖書の真理から離れてしまえば、パウロから今日の個所のような誹りを免れることはできません。
しかし「善意のかたまり」のよう牧師でも、聖書の真理から離れ、自分勝手な教えを広めようとしたとしたら、それは許容されざるべき「罪」なのです。パウロの警告は私たちの教会にもそのまま当てはめることができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道