誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2022年4月22日(金)
マタイの福音書 23章31-36節 31こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。32おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。33おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。34だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。35それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。36まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。
【ポイント】 ①罪人の子孫として、その罪を負って生きる大切さを知る 私たち日本人は、先の大戦で日本が多くの国、その国民に対し多大な被害を加えた事実を忘れてはなりません。多くの人は「自分が直接関わっていない過去の出来事の責任を負う必要はない。」「子どもや孫たちに他国への侵略の罪を負わせる必要はない。」と考えるようです。しかし、そのような考え方は間違っています。私たちは、今の時代に自分が現在行っていることの結果を私たちの子孫が負うことになるという現実から目を背けてはなりません。ある政治家は「戦後レジーム脱却」などということを軽々しく口にしています。しかし、世界から「戦勝国」と認識されようが、「敗戦国」と認識されようが、日本という国(日本人)の手によって愛する家族や友人が命を奪われたり、卑劣な行為を受けた当事者、家族、その子孫が、その事実を忘れることも、無かったことにすることはないのです。これが、この世の現実なのです。
神様との関係においても同じなのです。私たちはイエス・キリストへの信仰によって私たちの罪は完全に赦されます。この確信こそが、私たちの信仰なのです。しかし、それは自分の罪深さを忘れることでも、自分が罪人であった過去の現実を消し去ることでもありません。私たちは、罪が完全に赦された罪人として、神様の愛、恵、あわれみに感謝しながら生き続けるのです。自分の罪、罪深さについて忘れることは、神様の愛、恵、あわれみによる赦しを忘れることにもなります。
自分の罪の性質の深刻さに気付く者は、自分たちの祖先、信仰の先輩であるイスラエルの民の罪深さについても「決して他人事ではない」と感じるようになるはずです。なぜなら、「罪の性質」は時代、地域を越えて普遍的なものだからです。日本には「人の振り見て我が振り直せ」という格言がありますが、その通りなのです。この世に起きている罪について、他人事で済ますことができるものは1つもないのです。
そのことを忘れる時に、私たちは同じ過ちを犯すことになります。
ライフチャーチ 大谷信道