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2022年4月27日(水)
マタイの福音書 24章3-7節 3イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」4そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。5わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。6また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
【ポイント】 ①最後の時について最も大切なポイントを見逃さない イエス様の再臨の時を特定しようとするクリスチャンがいつの時代にも存在するようです。しかし、過去の日付でなされた予想はすべて外れています。人間の寿命は短いので、生きている間に何度も大きな戦争に巻き込まれたり、大災害に見舞われることはないかもしれません。ですから、自分の生きている間だけで考えると、イエス様が教えてくださった最後の時の予兆ではないかと思えるような出来事が、今まさに起きているのではないかと感じることあるでしょう。しかし、イエス様の時代から約2000年経った現在から過去を見返してみると、ここで書かれているような予兆は幾度となく起きているのです。ということは、恐らく、私たちがイエス様が教えてくださった予兆を基にしてイエス様の再臨や最後の時を特定することは極めて難しいということになります。
私は、人々に恐怖を与え、恐怖を原動力として人々にイエス様を信じさせるようなアプローチはあまり好ましいと思っていません。たしかに、バプテスマのヨハネはマタイ3章で「1 悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」「10斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」という、聞いた人が恐怖を覚えるような警告を発しています。イエス様もマタイ4章17節で「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と語られていますが、その直後の19節では「イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」とペテロ達を招いているのです。ここに、旧約時代の預言者であるバプテスマのヨハネと神様の御心を100%明らかにされた御子イエス・キリストとの間の違いを見ることができる気がするのです。つまり、神様の真の御心は、恐怖によって人々の心を支配し、自分の言うことを聞かせるというものではなく、人々を愛し、人々が自らの意志として神様を愛する者へと導かれることにあったということです。
ですから、最後の時、イエス様の再臨についても、私たちに求められていることは24章13節にはっきりと記されています。「13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」私たちに求められているのは、何が起ころうとも、「最後までイエス様の愛を信じ続けること」なのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道