デイリーディボーション 4月27日(金)

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デイリーディボーション 4月27日(金)

2018年4月27日(金)

【通読】
ローマ人への手紙 13:11-13
11あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。12夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。13遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。

【ポイント】
①私たちは「中間」に生きている
私たちクリスチャンは「既に救われている」が「完全に救われていない」状態にあります。もっと分かりやすく言えば、私たちは「救いの約束が与えられている」状態で地上に暮らしているのです。

ですから、クリスチャンになっても、病気、事故などに見舞われることもありますし、罪を犯してしまうこともあるのです。私たちは、与えられている完全な救いに希望を置きながら、地上の悩み、苦しみの中を経験し続けるという「中間」に生きているのです。

パウロは、私たちの完全な救いの実現が近づいていることを「今は救いが私たちにもっと近づいている」と表現しているのです。しかし、それはイエス・キリストを信じる者がまだ救われていないことを意味しているのではありません。あくまで「完全な救い」の話しをしているのです。ピリピ人への手紙3章20-21節をみると、私たちの「中間」状態がより鮮明に理解することができると思います。

「20けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。21キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」

さらに、既に学んだ8章にもこのようにありましたね。
「23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。24私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。25もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。」

もし、私たちが「完全な救い」の希望を捨て、忍耐することをやめ、この世での満足を求めるようになったとしたら、教会もこの世のサービス業と何も変わらない、人々の欲求に応えるだけの集まりになってしまうことでしょう。人々は自分が仕えるべき教会ではなく、自分により良いサービスを提供してくれる教会を求めるようになってしまうことでしょう。

「19自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。20自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。」(マタイ6章)

ライフチャーチ
大谷信道


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