デイリーディボーション 5月25日(火)

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デイリーディボーション 5月25日(火)

2021年5月25日(火)
マタイの福音書 3:7-9 7しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。8それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。9『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
【ポイント】 ①「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」 バプテスマのヨハネ、そしてイエス様のみことばを理解するためには、当時のユダヤ人の信仰について理解することが不可欠です。それぞれの説明をチェーン式新改訳聖書の説明を引用してみます。「パリサイ人:当時のユダヤ教の中で最も影響力のある宗派。モーセの律法に熱心で、その実際的諸解釈をも権威あるものと認めた。しかし、その遵守は外面的で、自己義認に陥る傾向にあった。」「サドカイ人:大部分が祭司階級や上層階級出身で、当時の反超自然主義者(合理主義者)を代表した。彼らは肉体の復活、未来の審判や報い、天使の実代などを認めなかった。」
この説明をみると、両者が全く違う信仰を持っていたことが分かります。わたしたちのような福音主義のクリスチャンから見れば、サドカイ人はほぼ無信仰に等しく見えてしまいます。一方パリサイ人は「聖書信仰」という点においては、私たちとの共通点を見出すことができます。ですから、バプテスマのヨハネ、そしてイエス様の目から見れば、パリサイ人は決して「不信仰」とは見えなかったのではないかと思いますが、バプテスマのヨハネはサドカイ人とパリサイ人の両方を「まむしのすえたち」と呼び、厳しく批判しているのです。イエス様はパリサイ人について23章3節で次のように糾弾しています「3ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。」
それでは、パリサイ人は自分たちが教えていることを実践していれば、問題なかったのでしょうか。この点を深めていくことが、イエス様の福音を理解するうえで極めて重要になると思います。サドカイ人の教えも、パリサイ人の教えも「良い知らせ」ではななかったゆえに、イエス様の教えが「福音(良い知らせ)」と呼ばれたのです。良い知らせの良さを理解するためには、良くない知らせを十分に理解することが大きな助けになるのです。
今日の個所から得ることができるヒントは、ヨハネがサドカイ人にも、パリサイ人にも「悔い改め」と「悔い改めにふさわしい実を結ぶこと」を求めたことです。この点を常に頭の片隅に覚えながら、福音書を読み進めて行きましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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