デイリーディボーション 5月8日(土)

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デイリーディボーション 5月8日(土)

2020年5月8日(土)
テモテへの手紙 第二 2:14 14これらのことを人々に思い出させなさい。そして何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになるような、ことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。
【ポイント】 ①正しい福音は必ず「平安/平和」の実を結ぶ イエス・キリストの福音は、その「愛・恵み」という性質ゆえに、それが正しく伝えられていれば、私たちを神様との和解に導き、同時に、私たちと隣人にも和解を与えるものです。
ですから、イエス・キリストの福音が正しく伝えられなかったり、人々が正しい福音を忘れたりしてしまうと、その人の神様、隣人との関係が神様の御心とは違うものになってしまう可能性があるのです。
「自分はイエス様の福音を正しく伝えている」「自分はイエス様の福音を正しく理解している」と思っているクリスチャンはたくさんいることでしょう。しかし、もし自分の教会、自分の家族の中に「平和/平安」の実が結んでいないとしたら、自分の福音理解、福音宣教が間違っていたのではないかと疑う必要があるのです。
教会に熱心に仕える牧師、執事の家庭の子どもたちが、教会(キリスト教)につまずいたり、教会や親に反感を覚えている例がどれほど多くあるのかをご存知でしょうか。もちろん、最善を尽くしながら、信仰に導けなかったケースもあることでしょう。しかし、クリスチャンである親たちの家庭での良くない夫婦関係、子どもに対する悪い接し方であったり、教会内での醜い論争などを目にして「教会は偽善者の集まりである」と感じてしまったクリスチャンホームの子どもたちがたくさんいるのです。健全な教会や家庭を形成していたとしても、子どもたちを信仰に導いたり、思春期の難しい時期にも信仰から離れないように導いたりすることは、大変難しいことです。まして、教会や家庭で論争などが常態化していたとしたら、あえて教会嫌い、キリスト教嫌いのこどもを育成しているようなものなのです。
この問題の原因は、私たちのイエス・キリストの福音の間違った理解、間違った実践なのです。教会、家庭で福音の本質である「愛」「恵み」が実践されていないのです。私たちが福音の中に「律法主義」や「さばき合い」が入り込むことを容認してしまった結果なのです。あるいは、本当の意味での「赦し」「受け入れ合い」「助け合い」「補い合い」を経験したことがないので、教会や家庭でも「教会/家庭はこうあるべき」「クリスチャンはこうあるべき」という「べき論」を戦わせることが健全な教会/家庭の形成方法だと勘違いしている人もいるかもしれません。
「べき論争」は幼稚園生でも、小学生でもできます。私たちがキリストから求められている信仰の歩みは、黙って人の不完全な部分を受け入れたり、文句を言わず足りない部分を補ったりすることなのです。それが、イエス様の十字架への歩みであり、福音の本質なのではないでしょうか。だからこそ、私たちはイエス様の福音を正しく伝え、正しく実践し続けることが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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