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2022年6月15日(水)
マタイの福音書 27章6-10節 6祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから」と言った。7彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。8それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。9そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。10彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」
【ポイント】 ①常に神様の御心を求める 今日の個所を読むと、陶器師の畑の購入は神様があらかじめ定められた出来事であったことが分かります。それでは、神様はこの出来事を成就するために、神様の力でユダを裏切らせ、祭司たちの決定を操作したのでしょうか。もし、そうだとしたら、なおさらユダも祭司たちも悪者ではなく、神様の計画の成就のために行動したことになるかもしれません。そうなると、神様が悪を利用して自分の計画を実現させたことになってしまいます。ですから、これらの出来事を神様の計画であったと簡単に処理することは危険なのです。
さらに、「ああ、ユダの裏切りも祭司たちの悪だくみも神様の計画だったのか!」と考えてしまうと、多くの人は自分には関係のない出来事だと理解してしまうかもしれません。しかし、これまで学んだ通り、ユダも祭司長も悪霊に操られているのでも、神様に操られているのでもなく、あくまで自分たちの自由な意志の中で自分たちの行動を決定しているということです。つまり、何が神様の計画で、預言の成就なのだかを知るよしのない私たちにとっては、常に自分の意志で何が神様の御心にかなったものなのかを見分け、行動していくことが大切ですし、私たちにはそれしかできないのです。
そのためには、自分が神様の御心だと信じ切っている事がらについて疑い、考え直してみることも大切です。むしろ、信じ切っていることが「盲信」であるときにこそ、悲劇が起きる可能性が高いのではないでしょうか。聖書に立ち返れば、必ず何が神様の御心であるのかを知ることが出来るはずです。
ライフチャーチ 大谷信道